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斉藤一人さんの本

斉藤一人さんに学ぼう というページを作って本を紹介しているんですが、検索などからいらして、多くの人に購入していただきありがとうございます。(訪問者数から考えると、物凄い比率で購入してくださっていると感じています。)

ページでは、かなり力を入れて紹介はしていますが、私は、斎藤さんに会ったこともなければ、話をしたこともないんです。(会ったこともないのに話せたら凄いですけどね。笑・・電話とかは可能か・・笑)

最近のCD本では「声」は聞かせてもらいました。また、ついでにいうと、一人さんの関係者(笑)にもあったことがないんです。

さて、精神世界というと、今の人は「江原啓介」さんなんでしょうが、そのような人はイロイロいまして、その中で「サネヤローマン」という外国の方の本の一節を抜粋して今日は紹介してみます。ただ、守護霊関係(?)とはちょっと違う関係の本のようです。(←よくわからないと思いますが・・)

たとえば、こんな感じです。

・・自分への尊敬は、自分自身を信じ、たとえ後でもっとよい方法を見つけるにしても、今は自分で一番よいと思うことをやっていると知っていることです。

それには、自分を非難せずに認め、ありのままの自分を良く思うことが必要です。いつも懸命に努力し、自分に何かを押し付け、それでいて、自分が何をしても充分でないと思う人がいます。

何かを成し遂げるために努力し、懸命に働くことは必ずしも「喜びの道」ではありません。


・・で、 なかに、一人さんについての、私の勝手な(笑)イメージが書いてました(笑)。

『親切で、優しく、あり余る愛を与えてくれる人々をみてください。本当に力のある人々は、とても謙虚です。

彼らは、他人に印象づけようとすることもなければ、影響を与えようともしません。彼らは、ただありのままの姿でいるだけです。

しかし、人々は磁石のように彼らに引き付けられます。彼らは、とても静かで、集中力があり、ほとんどいつも自分の中心的自己に気づいています。

彼らは外部の世界のあらゆることは、ただ単に自分の内部世界の象徴であることを知っています。

人々は彼らに触れただけで、元気を取り戻し、エネルギーを回復したように感じるのです。

彼らは、誰にも何事も確信させようとはしません。ただ、招いて贈り物を提供します。

彼らは聞きます。もし彼らが、自分が提供することがあれば、それを提供し、そうでなければ黙っています。』

なんとなくですが、こんな感じのイメージを、迷惑かもしれませんが、勝手に(笑)私は持っているんです。しかも、毎年、納税額トップ10にはいるような売り上げをあげている社長だというんだから、ある種のオドロキです。

山かなんかにこもっているんじゃなく、戦場と譬えられることも多いビジネスの場で実践できていることが素晴らしいとおもっているんです。(ただし、普通の社長ではなく、自然のなかに遊びによく出かける社長らしいです。笑)

今日の最後に・・

たとえ、人が深い言葉を話し、賢明なことを言っても、いっしょにいて、自分が、大きく広がるような感じがしなければ、本当の力を経験したのではありません。

(管理人 注)たとえば、考えの中にも「素晴らしい考え方」がいろいろあります。ですが、良い考え方のなかにも、(その時点での)自分に合わない考え方というのがあります。
だから、この日記を読んで、気分が悪くなるという人(笑)、納得できない人がいて当たり前ということになります。


考え方ではないですが、「都会の活気のある生活」と「田舎のノンビリした生活」ということでさらに話します。

どちらがいいとはいえないです。若者なら「田舎の生活」なんて退屈で死にそう(笑)と、思うことでしょう(?)。ですが、一ついえるのは、「都会の生活は、マイナス面も大きい」ということがいえます。スラム街、ホームレス・・これらは都会に産まれるんです。

もちろん、都会の中で「田舎にはない幸せ」を掴む人がいるのはもちろんです。個人の選択ですが、抽象的に次のようにまとめてみました。

「都会的」思考・・短期間で向上可能。無理がある分、反動も大きい。努力・自己完成の教え。脱落もあり。
「田舎的」思考・・短期的には時間がかかるようにみえる。無理がなく、自然である分、反動も小さい。努力を意識しない癒しの教え。物足りない可能性も。


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  1. 2004/11/22(月) 17:09:06|
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精神観念論の最初のお話

この日記を書き始めていますが、自分の考えをまとめたり、この日記自体を掲載するホームページを新しく作ろうかなとおもっているところです。もともと、哲学的な内容のホームページを作りたいとは思ってはいたんです。

その出だし(?)だけをちょっと書いてみます。「ニシヤンの楽しい精神観念論」の精神観念論とは、「心とか、精神」といった内側の世界の方が主である、大切であるという考え方です。また、内側(心など)と外側の相関関係を考えるということでもあるんです。

一応、書いてみますと

A内側の世界・・自分の心、実際の経験・・主観
B外側の世界・・自分の外の世界、・・客観


話は飛びますが(笑)、たとえば、お金儲けをしたい人が「お金儲けの方法」を知るために、実際既にお金儲けを実現した人のことを知ろうとします。

世界的には、ロックフェラーとか、カーネギーとかがいますが、日本であれば、たとえば、松下幸之助さんなんかがいます。そういった人たちの本を読んでみると、「あれ?ちょっと変だぞ?」と思う(?)ことになります。

というのは、そういった人たちが書いている内容は、期待に反して(?)「精神論」だからです。ここで、方法論ではなく精神論が大切だと、分かればいいのですが、お金の場合、そういうものがなくてもお金持ちになってしまうことがあるので、ちょっとやっかいなんです。

では、次です。客観性の代表選手といえば「物理学」です。
物理学が発見してきた理論、法則は、いわゆる「近代文明」を押し進める役割をしてきました。

そして、そのなかで、客観性を保つため「証明」と「実証」ということが重んじられたんです。

個人でも、何かについて「証明されなければ信じない」といった発言をする場合があります。

さっきの話で「お金持ちになる方法がある」と考えたのと同じように、物理学者たちは、当初「客観というのは主観と交わることがない。まったく別のものだ。」と考えてきました。

ところが、客観の代表選手である物理学者は、戸惑うことになります。この戸惑いというか、ショックというのは、大きくいうと2回ほどありました。

いや、現在2回目のショックの最中(笑)かもしれません。

何が、ショックなのか?

専門家ではないので、きちんと理解しているわけではないですが、現代物理は「極大と極微の世界」も対象にしています。

特に、原子とか、素粒子といった「極微」の世界では、物理学者を困惑させることが起こっています。

極微の世界を扱う「量子力学」には「波動方程式」という数式があります。

この式から、それを技術に応用し、最先端の様々な製品ができています。

ところが、その波動方程式とやらは、一般大衆の常識を打ち破るようなことを同時に示してもいるんです。・・この方程式の解釈をめぐって、物理学者達の意見も分かれています。

この方程式が間違いだといえればいいのですが、それが、正しいことはイロイロな実験結果からも明らかで、しかも、技術的に今のハイテク社会の基礎になっているんです。

もともと、科学者というのは西欧人が多いわけですが、その方程式から導かれる結果が「東洋の仏教の思想と酷似している」ことを指摘しています。

・・科学の最先端理論が東洋神秘思想へと接近しつつある。
私はこうした量子力学の発展に恐怖を抱いている。
(ジョン・テイラー・・量子力学の世界的権威・ロンドン大学教授・・BBCのインタビューにて)

20世紀量子力学の巨人N・ポーアがその自らの量子論と、中国思想の陰陽理論の類似性に驚き、後に道教の陰陽のシンボルマークを家紋にしたという有名な話もあります。

実際の技術では、たとえば、立体の物体像をつくるホログラフィーというのがあります。どの一部でも、その全体の情報を中に持っている・・過去・現在・未来の全ての情報が『今ここ』にあるという「悟りの話でもしてんの?」(笑)ともいえる考え方がはいっているんです。解説のページを探してみました。
⇒ホログラフィー

詳しいことは、また書くことにしますが、例えば、波動方程式は次元ということを、はっきり示しています。
空間的に「四次元」とか「5次元」とかが確実に存在することを示しています。

今日のテーマに関連して言うと「主観と客観の区別がもはやない。または、区別すること自体が無意味である」ことを表しているともいえるのです。

これが、ショックであるのは、物理学が「客観性」をよりどころにし証明や検証を重視してきたけれど、客観性なんてものが、よりどころにならないということを表しているからなんです。

いままで、客観的と考えていたものは、「単に、上手く説明できる、有用である」ほどの意味となります。波田陽区的にいうなら(笑)

・・「客観性、客観性が大切だ。科学的に根拠のないものは信じません」って言うじゃな~い。

でも、アンタが信じている科学も根拠がなくなってきてますから!!残念!!」


ってことなんです(笑)。

ちょっと怖いこと(?)を言うかもしれませんが、物理学の公式に主観、すなわち「心とか、意識といった変数」が入る時がくるかもしれません。

さて、客観という立場から、ちょっと語りましたが、私自身は「証明を必要とする客観」の価値は認めるものの、時間がかかるというのがマイナスだと思っています。証明されるのを待つとすれば、あと何百年待たなければならないかわからない(笑)からです。

ですから、ある程度の理屈があるならば、主観を採用したいんです。

主観とは「自分の心」「自分の体験」です。変に思うかもしれませんが、「自分の体験」については、一部で、既にこのような考え方が社会的に使われ始めているんです。

「食べ物が自分の体にあうとか、あわないとか」といった医学的な話です。

これって、今の医学知識では客観性を説明できないんです。でも、個人個人、体験として確かめることはできます。症状がでますから。

同じように「主観に関する理論」つまり、精神的な法則は、客観性うんぬんいう人がいますが、それぞれの人が「体験」をとうして一部は確かめることができるんです。

  1. 2004/11/22(月) 17:07:28|
  2. 精神観念論その1|
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→一人さんの「今日の言葉」
→日本一語録?

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