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----------------------------アフィリエイトサイト管理人の「発想の転換」日記~「楽しい精神観念論」

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白い巨塔

「白い巨塔」ダイジェストTV番組を見ました。

今回はダイジェストということでしたが、レギュラー放送時もかかさず見ていました。

白い巨塔は昭和53年版のリメイクで田宮次郎主演の前作のほうが原作に忠実と言われています。(私は原作を読んだことがありません。)

実は昭和版「白い巨塔」のダイジェストを深夜から朝の4時すぎまで放送していたのを見ていました。

昨日は午後9時過ぎから平成版「白い巨塔」、そして深夜1時過ぎから昭和版「白い巨塔」をみて、連日の寝不足状態で(笑)この日記を書いています。

昭和版ファンの方もいると思いますが、私は「圧倒的に平成版のほうがよかった」と感じています。個々の役者を見ると、昭和版のほうが名演技と思われる俳優もいますが、作品の総合力では平成版のほうが、圧倒的に素晴らしいドラマでした。

素晴らしいとは、(私の場合)心にジーンと残る感動があるという意味で使っています。 

一つには、平成版は圧倒的に、ドラマチックな演出(+俳優陣の名演技)がなされていることによるのかもしれません。そしてそれ以上に、やはり脚本家の井上由美子サンによるところが一番大きいような気がします。人間の弱さや醜さを、ドキュメントのようにただ問題点を提起するという主旨で取り上げるのでなく、そういったものを越える「強さのようなもの」を登場人物に持たせるからこそ、その生き方に感動が生まれるということです。その強さの部分が、脚本家「井上由美子」版「白い巨塔」の特徴かなと思います。

登場人物の東教授の娘(矢田亜希子)にも、次のようなセリフを言わせています。

「私は、里見先生のように、財前さんのように、そして父のように、信念をもって、これからの自分の人生を歩いていきたいと思っています。」


(設定については、細かいところを現代風にしているだけでなく、カナリ変更を加えたところもありました。)

財前と里見の人物像や、その関係の描写ややり取りだけでなく、特に関係する女性達の描写は旧作をしのぐものがあったと思います。

白い巨塔関係のサイトなどを見てみると、たとえば、「あなたは財前と里見のどちらの生き方が好きか?」みたいな比較がありますが、私の見る限り、どっちの生き方がいいというようなことではないというのが脚本家のメッセージかなと思います。

⇒白い巨塔DVD
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  1. 2004/12/31(金) 05:58:08|
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サンタクロースのお話

昨日はクリスマスで、WOWOWのクリスマス特集(映画)を見ました。ご存知かもしれませんが、第20回アカデミー賞で3部門を受賞した「34丁目の奇蹟」という映画です。

「サンタクロースって本当にいるの?」って子供の疑問に、鮮やかな方法で解答を与えてくれる映画です。

WOWOWでは1947年版の白黒映画でしたが、カラーのリメイク版もでています。

クリスマスは誰もが笑顔になる日。そんなクリスマス本来の意味を忘れたデパート業界や、サンタクロースを信じていた子供の頃を忘れてしまった大人たち、そして母親から「サンタは存在しない」と聞かされて育ったドリスの娘、スーザン達に贈られる奇跡の物語です。

(あらすじ)
・・ニューヨークの感謝祭の日、街はメイシー百貨店主催のクリスマス・パレードで賑わっていました。主役のサンタクロースは、ひょんなことから人事係長ドリス・ウォーカーに雇われた老人クリス・クリングル。そのサンタにそっくりな風貌と優しい物腰に、たちまちクリスは評判になります。

だがクリスが自分は本物のサンタだと言い張ったことで、現実主義のドリスは医師に診せました。そこでクリスと医師がいざこざを起こしたため、精神病院に入れられてしまいます。・・・


・・クリスが本物のサンタかどうか裁判が行われました。裁判では「サンタクロース」あての郵便が何万通もクリスのところに「郵便局」が配送している事実により、「国も彼をサンタクロースだと認めている」ということで、勝訴となります。

親に「サンタクロースなんていないよ」と聞かされていたスーザンは「サンタクロースは必ずいる。私の願いもプレゼントしてくれるはず」と強く信じていました。

ところが、その願いは、クリスがプレゼントできるようなものではありませんでした。そして、裁判にも勝ったクリス(サンタ)に、次のような言葉をいいます。

「あなたは本当のサンタクロースではない。私の欲しいプレゼントをくれなかったもの。やっぱりママが言っていたことは本当だったんだ。信じて損した。」

さて、スーザンと両親が車で走っていると、スーザンが突然、大きな声をあげました。スーザンが欲しかったプレゼントは実は「家」でした。スーザンが見つけた家は、スーザンが想像していたのと全く同じ家でした。「やっぱりサンタクロースは本当にいるんだ。中にはブランコもあるはずよ。」

中に入ると確かにブランコがありました。その家は「売り出し中」の家で、中に、なぜか、サンタクロースのおじいさんが使う杖が置き忘れていました。

両親は家を欲しいと思っていたので、その家を買うことにしました。



  1. 2004/12/26(日) 04:07:40|
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心を映す鏡・・の意味

ニシヤンの精神観念論・・第5講目です。

人の心のなかの相互作用が外側に表れるというのは、こういったことに関心のある人にとっては当たり前の話といえる(?)かもしれません。

ただ、「世の中や他人は自分の心を映す鏡である」という言い方が、ちょっと分かりにくい場合があるので解説してみたいと思います。

はじめに、あなたの目の前に・・そうですね・・たとえば・・変態(笑)が登場したとします。

鏡ということですが、この場合、必ずしも あなたの本性は変態なのよ・・という意味ではありません。(笑)

鏡とは、そういう意味ではないんです。

しかし、その状況から学ぶべきものがあるということはいえます。もうすこし、見ていきます。

引き付ける現実は、ある種の観念から産まれる感情が引き付けたといってもいいものです。

たとえば、上の例でいうと「どんな感情が、すなわち、どんな観念が変態(笑)を自分の現実に引き付けたか?を考えます。

具体的に、話します。
そういった人を自分が、裁いている、強く批判している場合に引き付けることがあります。

ニュースなどから、変態(笑)と呼ばれる人たちを、たとえば、極度に嫌悪している人がこれに当てはまります。(ただし、すぐ忘れてしまうような心の切り替えが上手い人は、影響は少なく済みます。)

さらに、嫌悪しないパターンもあります。
それは、極度に怖れる感情をもつ場合です。社会的な事件を目にして、このような反応がよくあります。また、自分の過去の失敗が「トラウマ」になっている場合があります。

びっくりするかもしれませんが、何かを怖れるというのは、実は、それを自分が選択するということを意味します。そして「怖れの現実」を、場合によって悲劇ともいえる現実を引き付けます。

子供に、情報や知識を教えることは必要でしょうが、必要以上の恐怖心まで植えつけるのはよくないといえます。それいじょうに、親の観念を(特に、怖れから生じる強い観念を)子供が、そのまま受け取る場合さえあります。

ちょっと怖い話ですが、親と同じ観念のゆえに、親と同じような経験を子供がする場合があります。たとえば、親が母子家庭で苦労して、娘には幸せな結婚をして欲しいと思っていたら、娘の夫が突如いなくなったり、何らかの理由ですぐに離婚するはめになり、つまり、母子家庭になり「因果とは巡るものなの?」なんてゾット寒気を感じる場合もあります。(いいことなら、親の資質を受け継いでいるということがいえるからラッキーなんですけどね。)


まとめます。

他人を、あるいは何かを、ひどく嫌悪する、ひどく怖れる、何らかの感情的な執着がある、さらには、すべての判断は、それを自分が選択するということを意味することになります。喜ぶとは「喜びを選ぶことだ」ということであり、嫌悪するとは「嫌悪を選ぶことだ」ということになります。

普通の意味で、選んでありがたくないのは「否定的な感情」です。
否定的な考え方から出る感情が「否定的な出来事を引き付ける」からです。

(とはいっても、否定的な出来事が起こりそうなとき、そして起きたときでも、肯定的に捉えられれば、肯定的に変えるチャンスとなります。)

対処として・・否定的なものを取り除こうとしたり、感じないように蓋をしようとする試みがありますが、これは、上手くいかないでしょう。

失恋で苦しんだ経験をしたひとが、「もう、恋はしない」なんて考えて生きていこうというのは、よくある歌の歌詞にもなっているほどです。

これを、どうすればいいかです。

というのは、感情というのは、感じてしまったものは、その時はどうしようもないからです。

蓋をすれば、感情のエネルギーが蓄積し、いつか「爆発」することになります。できれば、エネルギーを開放しておくのがいいのですが、開放の仕方によっては、たとえば、言い争いのように、火に油を注ぐことになる場合もあります。

方法としては、まず、そのように感じる自分に抵抗しないことです。「泣きたい時は、思いっきり泣けばいいじゃない・」・・こんな風に言う人もいます。 また、できれば、そういう自分も認めます。相田みつをさんじゃないけれど、「そういうふうに思ったとしても、いいじゃないか。人間なんだから」と客観的に考えます。

感情について、どう対処したらいいか?・・役に立ついい言葉を紹介しておきます。
感情はあなたの子供である です。

たとえば、感情に蓋をするとは、自分の子供なのに「あんたなんて知らないよ。産んだ覚えもないし」と言っているのと同じことになります。自分の子供だからこそ、認めてやったり、愛してあげることが必要だという対処もわかります。


こういったことに対しての絶妙なバランスというか、対処法を教えてくれるのが、一人さんです。

いろいろな否定的な感情があって、文句をいったりしてウサを晴らすのもいいでしょう。でも、最後に「でも、俺たち幸せだよね」と必ず付け足す対処法を言っているそうです。


対処については、波動の話としてもまたしますが、今日は一人さんの言葉を引用するとします。

「嫌なため息をついたり、暗いことを言ったりすると、その波動が宇宙に広がって、また自分に返ってきてしまうんだ。でも、そこで、『幸せ』と言うことで、幸せの波動を返しておくんだよ。」

(管理人)・・自分の思考や、自分の観念をかえると、自分の感情がかわり、現実も変わります。現実が変わると感情(や思考や、場合によっては観念が)変わります。これを「循環の円」と考えてください。循環の円は、好循環の円にもなれば、悪循環の円にもなります。

どこから「切り込むか(=好循環の円に変えていくか)」ですが、実は「言葉から切り込む」のが一番簡単です。 こういう絶妙なバランス感覚を、書物などで、一人さんから学んでいます。

・・「心がともなってないと何をやってもダメだ、っとかっていうけど、あれは嘘だよ。心がともなってないから、言葉の力を借りるの。言葉には言霊という力があるんだ。だから、心が豊かになる言葉を言っていると、そうじゃない心を持っている人も、言葉の力で心も豊かになるの。やってみたらわかるよ。」(斉藤一人の不思議な魅力論 より)


言葉も波動(=エネルギーでもある)を持っています。(言霊を持っているといってもいいでしょう。高校の物理の教科書的にいうなら、光など、波動の周波数が高いほど、すなわち精妙なほど、高いエネルギーを持っているということができます。)この、言葉、特に肯定的な言葉、エネルギーの高い言葉の波動を利用して「心を変えていく」わけです。

心が変わると、波動(周波数)もかわり、それと同調する人や出来事をひきつけるという「単純な理屈」です。



  1. 2004/12/20(月) 00:40:51|
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相田みつを物語

先週末は金曜に「千と千尋の神隠し」、土曜日は「相田みつを物語」と感動の週末でした。(←大げさですが。笑)

千と千尋~は、映画館とTV放送をあわせて、今回が5回目ですが、何回見てもいいですね。DVDを買おう買おうと思っていながら、まだ買ってないのでいずれ買おうとおもいます。ストーリーもそうですが、私は背景の音楽も結構好きな映画です。宮崎駿監督の「ハウルの動く城」も絵だけでなく音楽がきれいで、気が早いですが、DVDでたら買いたいと思っています。今週もう一度見にいく予定です。

今日は「相田みつを物語」について

・・想像以上によかったです。よかったというのは、ただ感動するだけでなく「学ぶことが多い」ドラマだったからです。少し期間をおいてまたみると、登場人物から学べることがたくさんあるとおもいます。

このドラマでの「ある場面」を紹介します。

相田氏が自分の作品について昔の同僚に悪く言われた場面からです。
おまえの作品は、下向きなんだ。単なる負け犬の遠吠えだ。・・といわれます。

相田氏「負ける人間がいるから、勝つ人間もいるんじゃないのか!負ける人間がいなかったら、勝って胸を張れる人間はいないんじゃないのか!オレはこういう人間なんだ!」

元同僚「オマエも、本当は勝ちたかったんだろう。それを誤魔化すためにこんなものを書いているんだろう 違うか!」

そして、その後、さらに、その道の専門家が相田氏の個展をみにきて、芸術の堕落であるとか、大衆に迎合することで文化が地に落ちていく・・などと酷評し、相田氏の「荒れる場面」になります。

妻にも「どうして、お金もない、うそつきのオレと一緒にいる!別れるんなら別れてもいいんだぞ!」というようなことを言います。

自分をみつめなおすため、お寺に行って座禅を組み、和尚さんにこんな言葉を言われます

・・「いもはいも、かぼちゃはかぼちゃ、自分は自分」

この言葉に、なにか「心がふっきれた」ようでした。


・・さて、ちょっと思ったんですが、このドラマ・・アメリカ人はどう感じるだろうか?と思いました。

それは、陽と陰、・・陰にも価値を置く文化が日本や中国の忘れられつつある精神文化だからです。陰も素晴らしいんだという視点です。

いままで意味も分からずに「フレーズ」として使われてきた言葉に、意味があるということに気づきました。

おかげさま・・お陰さま です。


ここで、敢えて、勝ち負けでいうならば「相田氏は勝ったんだ」と個人的には思えます。晩年に作品が認められて経済的に成功したから・・という意味ではありません。
それは、負けるということのなかにも「素晴らしいものがある」ということに、はっきりと気づいたからです。いや、本当は、勝ち負け、世間の評価・・そういうもの以上のものを、自分が受け取っていることに気づいたからです。(←多分)

勝ち組、負け組というのは、現在では金銭的なニュアンスが強くあります。

親切心から(いや、慈悲の心?)から、嘗ての偉人は「金銭を避けよ」というようなことを教えました。
これは、負け組になりなさいという教えだったんでしょうか?

これはつまり、表面的なものに捕らわれて「心に富を蓄えること」を忘れないようにしてほしいという戒めです。
それだけ、お金のもつエネルギーが大きい(=人を狂わせやすい)ことを知っていたからです。

金銭的に豊かになる
心にも富を蓄える


先進国の人々は「こんなにも難しい(?)ことに挑戦している」と考えています。もちろん、心に富を蓄えずに金銭的に豊かになったとしたら、それは、明らかに負け組です。
(注意:例外はあります。金銭的に豊かになっていく過程で学ぶ場合もあれば、金銭的に豊かな状態でないと学べないこともあるからです。)


ですから、生活できる程度にお金もあり、田舎で自然とともに生活している心やさしい人がいるとしたら、その人は「勝ち組」の一つの生き方ということができます。

ドラマに戻って・・相田さんと、その奥さん・・「自分は正しいのだろうか?」ということで悩み苦しむシーンはありましたが、・・(ドラマを見る限り) 報われない現状を、貧乏暮らしが続いた状況を、相手のせいにして非難したり、環境のせいにするようなシーンはありませんでした。




  1. 2004/12/13(月) 19:30:17|
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100%自己責任

今日は「小石とダイヤモンド」の話(ニシヤン改変版・・
笑)からスタートします。

ある日、地上に産まれる予定の人たちが集まるところに神様がやってきました。
みんなは「神様がどんな凄いことを話すのだろう?」と固唾を飲んで待っていました。

すると神様は、

「地上に産まれたら、みなさんの周りには沢山の小石があるであろう。その小石を拾いなさい。そうすれば、こちらに戻ってきたとき、みなさんはとても喜び、そしてまた悲しむであろう。」

と言って立ち去りました。

みんなは神様のいうことがよくわかりませんでしたが、
賢い人がみんなにこういいました。

「神様が小石というのだから、きっと、毎日、目にするもので、しかも、ありふれていて、一見、価値がなさそうに見えるものなんだろう。」

さて、しばらくして、みんなは幾つかの小石をもって還ってきました。

見てみると、持ち帰った袋の中の小石はすべてダイヤモンドになっていました。みんなが大喜びしたのはいうまでもありません。

でも、あんなにも沢山の小石がありながら、なんでもっと拾っておかなかったのだろう・・と嘆き悲しみました。


すると、神様が再び現れてこういいました。

「そんなに嘆き悲しむではない。今持っているものに満足できる者は幸いである。だが、ダイヤモンドをもっと欲しいと思う者には、何度でも、地上に集めに行くチャンスを与えることにしよう。そして、みなさんが沢山の小石を集めてこれるように、同じことを地上にも伝えておくことにしよう。」

この言葉に、集まっていた人たちから拍手と歓声が巻き起こりました。
(終わり)

さて、小石とはなんでしょう?それは、すべての自分の体験のなかにあるはずです。しかも、沢山あるはずです。体験すること、見るもの、聞くもの、・・。

ここで、この理論がでてきます。
「自分の人生は100%自分の責任である。」(50%でもなければ80%でもありません。100%です。

ただし、責任ということばは「相手、あるいは自分を責める」という意味ではありません。

さて、例としては一人さんの「ツイてる」という本から引用してみます。

・・ご主人が浮気をするのは「100%自分の責任なんだ」と考えるんです。そうすると、

自分が結婚後、オシャレをすることを怠り、魅力のない女性になったことに気づくかもしれません。

毎日、店屋物ばかり食べさせてダンナさんを辟易させていたことに気づくかもしれません。

いずれにしろ、責任が100%自分にあると思えば、人の頭は勝手に自分が改良すべき点を探すんです。そして、そこを改良したとき、ご主人は浮気を止めます。たとえ、浮気を止めずに離婚したとしても、今度は、浮気をするような人とめぐりあわなくて済むんです。(引用おわり)

(管理人)
ニュースを見ていて、特に感じることなんですが、「誰が悪いのか?どの程度悪いのか?」といった見方がほとんどです。そしてまた、自分の体験についても、同じように、相手が悪い、世間が悪い、・・といった考え方をしてしまいます。

ニュースをみて、あるいは自分の体験で、「○○のせいで、自分が、あるいはその人が、○○の被害を受けた」という思考パターンがでてきたら注意してください。

たしかに、毎日沢山の出来事がニュースになります。せっかく、そういう貴重な出来事を、数多く目にし、時には体験もしながら、

「いい気味だ」とウサ晴らしに使うことで、
「悪いのはだれか?」と考えることで、
つまり、自分とは関係ないと考えることで、
すなわち、「単なる小石」と考えることで

拾うこともなく通り過ぎていきます。
相手が悪い、環境が悪い、政治が悪い、制度がわるい、世間が悪い・・では、当然ながら、自分のことを、自分の考え方を省みることはありません。

そして、皮肉なことに(?)・・その自分の考え方こそが、自分の現実を創っているんです。

回りが悪いと思うことで、「回りが悪いと思いたくなるような現実を引き付けてしまっている」わけです。










  1. 2004/12/11(土) 09:52:32|
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12月11日(土)相田みつを物語ほか

12月11日のオススメ番組を紹介します。(番組をみているわけではないので期待を込めてということで・・)

まず、「にんげんだもの」など、その癒しの詩のファンも多い故・相田みつをサンのドラマが午後9時からあります。相田みつをさん役は木梨憲武さんです。

相田みつを氏の番組は1998年にNHKの特集でみました。
今回はドラマということで楽しみです。
⇒TV朝日開局45周年記念ドラまスペシャル「相田みつを物語」

⇒相田みつを美術館
⇒相田みつを作品


お次は、ガラッと変わってサイエンスゼロという番組。午後7時からです。
裏では「億万のこころ」なんていうのもやっていますが、12月11日の番組は、最先端の素粒子理論の話。物質について、宇宙について、現在の物理学者たちが今何を研究しているか興味があります。
(ただし、他のNHKスペシャルよりも突っ込みが甘いという感じもする番組ですが、その分、割りと手頃な番組といえるかもしれません。)
⇒サイエンスZERO

お次は、個人的なファンでもある一青窈ことヨウちゃんのライブです。放送はBSですが、午後3時からです。

このライブは和歌山県東牟婁郡本宮町の熊野本宮大社旧社地の野外特設ステージで行われたものです。

同大社がある「紀伊山地の霊場と参詣道」が今年7月、日本で12番目のユネスコ世界遺産に指定されたのを記念したライブで、約20倍の抽選を経て招待されたファン約1000人が詰めかけたそうです。

彼女は、自然とか、古くからある「日本人的な情緒」を思い出させてくれるシンガーです。自然の静寂の中でのライブ・・応募はしませんでしたが、参加したいライブでした。

最近、そのヨウちゃんのライブDVDを買いました。
⇒てとしゃん

⇒姿見一青也




  1. 2004/12/09(木) 18:09:40|
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体験する自分&選択する自分

ニシヤンの精神観念論の続きです。一度、手をつけたからには、とりあえずというところまで話してみます。

たとえば、「世の中に偶然はない」ということを前回とりあげましたが、これを「運命決定論」のように捉えてしまう場合があるので、その解説もしておきたいと思ったからです。

まず、「自分が選択する」という言葉の「自分」についてです。
本来、一つなんですが、理解が進まず、チンプンカンプンなんで、ちょっと分けて考えていきます。

大きく分けると
A体験する自分
B選択する自分


となります。

体験する自分については「かなり分かりやすい」のではないかと思います。体験する自分は「今を充分に生きる」のが役目です。

過去を後悔したり、未来を不安に思ったり、取越し苦労するのではなく「意識を今という瞬間にあわせる」という意味です。特に、肯定的な見方としては「今という瞬間を楽しむ境地」ということがいえるかもしれません。

簡単なようですが、訓練が必要な場合もありえます。特に、なんでもいいですが、「何かに集中する訓練、好きなことに自分を忘れて取り組む訓練」が役に立つとおもいます。(←大人になってからでも遅くはないですが、子供のころに身につけておくのが望ましいとおもいます。)あるいは、夢中になれるものを見つけるのがコツといえるかもしれません。

あと「体験する自分」にも「選択する自分」に近い事柄があります。それは、自分の体験に肯定的な意味を与えることです。

次に「選択する自分」です。こっちはちょっと厄介かもしれません。まず自分といっても、表面意識や潜在意識、無意識なんていうのがあるからです。

無意識に含まれるかもしれませんが、まず、生まれてくる前に、自分が生まれてくる親や環境を決めてきた自分がいます。(←これは信じられないという人も多いでしょう。)この自分は、エネルギーとか象徴とかといった「具体性がない形での」選択をします。

そのエネルギーを受けて「表面意識と潜在意識」が協力して具体的な体験を選択します。
もとのエネルギーがカナリはっきりしている人も中にはいます。
スポーツや音楽の分野に進む人がそうです。たとえば、野球の松井秀樹選手は、小学生のとき柔道にうちこみ、県大会3位にはいるなど、オリンピックも夢ではない小学生だったといいます。しかし、どうしても野球がやりたくて、野球に転向したといいます。

話はもどって、意識について、まずちょっと、それぞれの担当について大まかに説明します。


無意識=大きな視点で、成長やバランスを担当
潜在意識=観念担当
表面意識=感情や思考担当


表面意識については、誰でもわかるとおもいます。当然(?)、ほとんどの人は、自分の感情については感じることができます。


観念というのは、実際の現実で具体的にどんな現実を体験するかを決める元になるものです。観念というか潜在意識の特徴として、実際の出来事と頭のなかで想像しただけのことの区別ができないという特徴があるそうです。ここで、押さえて置きたいことがあります。それは、

観念から出てくるものを運命のように捉えてしまっている人がいるんですが、観念は変えていくことが理論的にはできるということです。ただし、ちょっと時間が掛かるということはいえるので、「プチ運命」(笑)としておくことにします。

観念を変えるのに、役に立ってくれる味方が思考です。
そして、観念に気づかせてくれるのが感情です。


「どのような観念を持っていれば、このような感情を感じるか?」を考えます。ただし、誰が悪いとか、相手が悪いという思考では意味がありません。具体的には、たとえば、「相手を悪いと思う自分は、どんな観念をもっていなければならないか?」と考えます。

人は誰でも観念をもっていますが、気づかないと、感情や思考が自分の否定的な観念を強めることがあります。よくあるのは、頭に来る→悪いのは相手→観念を強める→さらに頭に来ることが起こる・・という具合に悪循環に陥りやすいことです。

観念次第+表面意識での選択次第で「肯定的に出来事を体験するか、否定的に出来事を体験するか」が決まります。

いや、すべての出来事に肯定的な意味がある、ということを理解しているなら、表面意識の段階でも充分に肯定的なほうに変えることができます。

理論上、「楽観的に物事を捉える人」は肯定的に体験していきますが、それでもあるテーマでの観念が否定的であることもありえるので、場合によっては「何で自分にこんなことが起こるの?・・」という思いに駆られる状況になることはありえます。

とはいっても、自分がどんな観念をもっているか?について全て知る必要はありません。過去のトラウマ(心の傷)的なものは、できるなら対処したほうがいいとはいえます。ですが、必要に応じて、内側のものが外側の世界に反映されて出てくるので、そのときに気がついても遅くはないという考えもあります。

斉藤一人さんは、「人が本当に困ったときが、その人が、そのことについて学ぶときなんだ。困っているんではなく、学んでいるんだ。学ぶことって悪いことでもないんです。」というようなことをいっています。

さて、仏教で「カルマの法則」というのがあります。
例えば、前世である人を虐待したから、今生では虐待される側になる体験を作り出すというのがカルマの説明の一つです。でも、これは特定の形で現実を体験するしかないという「自分の観念」が作り出している可能性があります。ほんとうは、そこまで具体的になっているわけではないので、もっと違ったかたちでバランスを取ることができます。


カルマという話では、(私も含め)多くの人は「お金に対するカルマ」をもっていると思います。具体的には「お金について、否定的な見方をしている」ということです。観念によって「肯定的に学ぶのか?否定的に学ぶのか?」分かれていくと思います。

お金に困る体験(苦労や苦しみ)から学ぶのか?
お金に感謝する体験(喜びや楽しみ)から学ぶのか? です。

お金に苦労している人も「否定的ではあるけれども、お金について学んでいるだけなんだ」ということです。(←客観的に書いていますが、お金については、私自身、かなり否定的な観念をもっているようで、それを変えつつ学んでいる最中ということになります。)

さて、無意識が選ぶテーマ、すなわち、エネルギーとして、よくある(?)のが「再生」です。再生は「死して生き返る」ということです。


これを「自分が命をなくすことだ」みたいな「ガチガチな観念」を持っていると、交通事故みたいな不幸を呼び寄せる場合があります。大抵は「自分の考え方を新たにする、精神的な意味で、今までの自分が死んで新しい自分が生まれる」ということなんですが、実際にはいろいろあります。

9死に1生を得た人の人生観、考え方がガラッと変わるのはよく目にするところです。その体験があったから自分が変わることができたという場合が多いのです。

さて観念と関係あることがらに「象徴」があります。これについては、改めて話をするとします。

象徴もエネルギーです。物理的には、象徴自体がエネルギーを持っているというより、たとえば、象徴と自分との間でエネルギーが流れるということです。(自分から見ると、エネルギーを受け取ることだともいえます。)

象徴もいろいろ段階があり、個人差もあります。誰でも使えるものとしては、「全て一つ」すなわち「完全性の象徴」というのがあります。完全性の象徴の代表は円とか球です。

人類の歴史をみると、様々な絵画、身につける宝石、また、マンダラなど、円(や球)をモチーフにしたものが数多くみられます。そういう象徴を「目で見るのも一つの方法」ですが、どうせならイメージで考えるという手もあります。

たとえば、大きな光の玉が自分を取り囲むといったイメージをオススメしておきます。光に色を付けたければ、色をつけて遊んでみてください。

精神的にリラックスする方法と考えるといいでしょう。
精神的にリラックスできれば、ストレス解消につながり、健康にもいいということがいえます。




  1. 2004/12/07(火) 03:46:47|
  2. 精神観念論その4|
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世の中に偶然はないって・・ほんと?。

ニシヤンの精神観念論のさわりの続きです。(ちょっと怖いかもしれない話です)

全ての存在は一つであり、完全である・・前回の大胆な(?)結論でした。

これを言い換えたものに、こんなフレーズがあります。

世の中の出来事は偶然に起こっているのではなく、すべて必然的なものである。
起きる物事すべてには原因や深い理由がある。
自分が体験する現実は、すべて自分が選んだものである。


昔、「世の中に偶然はない」というところがどうも引っかかりました。というのは「運命」とか「未来」とかとの兼ね合いがあるからです。

「偶然はないってことは、よく考えると、自分が未来で何を選ぶかも決まっているってこと?」・・こんな疑問もあって、どうしても納得できなかったんです。

大学受験の追い込みで朝から晩まで勉強していたとき、こんなことを考えました。

合格不合格は、もうすでに決まっているのかなあ?
未来が決まっているんだったら、もう勉強するのやめようかな?
なんて考えていたんです。

この問題がすっきりしたのは、物理学者が発見した理論でした。どうやら、時間とか空間とか、私達が考えているようなものでないらしいんです。

次から話すのは、一種の妄想かもしれませんが、ミクロの世界で認められた波動方程式の解釈の一つで、物理学者の一部が、大まじめで(笑)主張している理論です。(違う考え方の学者もいます。)

それは、未来は一つでなく、既に無数に存在し、その全ての未来に自分もいるという理論です。(←パラレルワールドといいます。) たくさんある未来の中から、現在の自分が、そのうちのどれかの未来を選びながら進んでいくわけです。

つまり、受験であれば、受験に合格した自分がいる未来と、受験に落ちた自分がいる未来があり、それぞれの自分は、自分がいる現実だけが、ただ1つの現実だと思い込んでいるということです。タモリの「世にも奇妙な物語」でも、これと同じようなテーマの話をみたことがあります。

最近では映画マトリックスもこの考え方を一部取り入れてますし、映画バックトゥザフューチャーでは、過去を変えたため、それにつながる未来がかわるという「平行する未来」の考え方を取り入れていました。


「並行する無数の現実」という考え方をとると世の中に偶然はないことと、自分が自由意志で選ぶこととは矛盾しないですみます。
それぞれの未来、1つ1つの全ての未来で、「偶然のない世界」が用意されればいいからです。自分がどれを選ぼうが「その選択にあう偶然ではない世界」が待っているからです。

かわりに、この考え方だと、理論上、意味をなくすものがでてきます。それは「未来の予知」に関しての事柄です。未来が沢山あるんですから、予知する人が、どの未来に標準をあわせるかで全く違ってくるからです。もし人が「考え方を大きく変えるなら選ぶ未来も大きく変わる」ことになります。また、黙っていたら、そのままいくはずだったのが、「予知」を知ることで選択を変えるかもしれません。「未来を予知する人も、現実の世界に参加している人であり、未来に影響を与える可能性を持つ一人」であることも指摘しておきます。(←観測する人が、出てくる結果を決めているというのが量子論の本質で、とても似ている考え方ということになります。)


あと、この理論は、とても素晴らしいことも表しています。たとえば、自分の夢が「女優になること」だとします。有難いことに(?)、自分が女優になっている未来も既に存在していることになります。可能性を想像できるなら、そういう未来があるということになります。ここでの「女優になった未来の自分」は、現在の自分から出発し夢を実現させたということがいえます。

ちょっと、話は飛びますが(笑)、「10代しゃべり場」という若者のTV討論番組を偶然(じゃなく必然的に・・笑)見ました。

地球の環境保護のために、何ができるか?というテーマでした。
若者Aは「自分ができる日常の小さなことをやろうよ」という主張でした。
若者Bは、「そんな、一人や二人やったって、いったい世の中の何が変わるっていうの?そんなことするより、影響力のある立場の人がきちんと活動すればいいんであって、まず、影響力のある立場にたたなきゃ、無駄だね。あんたの主張は、単なる自己満足だよ」という主張でした。

今日の最後に、サネヤロウマンという外国版の江原啓介さん(?)のような人の文を引用してみます。

「あなたが、世界平和や地球の穏やかな気候、安定した経済、安定した地殻などを想像していると、そのイメージにあった現実にあなたは流れていきます。

自分の住みたい世界を思い描いていると、それが実際に起こる現実の一部になります。たとえ、地球全体に及ばないにしても、自分の世界が平和であり、経済も安定している世界にいることに気づくでしょう。

あなたが初め、平和や愛やきれいな空気のある世界というように、暮らしたいと思う宇宙をイメージし始めるとき、状況は筋道の通った納得のいく形で変わっていきます。ですから、あるとき目を覚ましたらすべてが変わっていたという具合にはいきません。

自分が住んでいる地域に地震や地殻変動が起こる未来もありますし、そんなことは起こらない未来もあります。霊的能力のある人が未来を予測するとき、人々が、どんな現実に意識をあわせるかによって、いろいろな現実を目にします。

しかし、その予言は、その未来に波動を合わせている人々にとっては真実かもしれませんが、そうでない人々にとって真実ではありません。ですから、地震や災害など、起こって欲しくないことをたえず心配するかわりに、よくなっていくことを思い描いてください。

恐れと欠乏に基づいた現実に対する他人の見方を受け入れる必要はありません。

(管理人)物理学で、最も功績のある理論は、波動理論かもしれません。過去の時代は「波長とか周波数」という言葉が使えませんでした。「類は友を呼ぶ」みたいな諺でしか表現することができませんでした。

現在は、すべての存在は波動で説明することができます。全てが波動であるとは、考えられるもの、想像できるもの全てがある波動のパターンを持つことになります。これは結構ショックかもしれません。(納得できない人も多いでしょう。)

たとえば、天国とか地獄がありますか?・・という質問なんかは変な質問になります。

考えられるという事は、そういう波動をもった世界が存在するということです。もちろん、波動の世界ですから、ただの波動の世界、すなわち幻想の世界なんですが、その中にいる人にとっては「現実の世界そのもの」ということは大いにあり得るといえます。逆に今居る世界も「幻想」といえるかもしれませんが、いずれにせよ、自分の選択にたいする結果は受けなければなりません。幻想だからといって好き勝手なことをしても、その幻想から出ることは、ほぼ出来ないからです。(←ちょっと小むずかしい理屈ですが)


先日、TVで血液型の番組を、みてたんですが、笑いながらもちょっとゾッとするような場面がありました。A型大家族とか、O型大家族とか、同じ血液型が集まったらどうなるかなんてことをやっていました。

A型はまともでしたが、私のO型は、だらしない人の集まりのようで、笑えました。でも、たとえば、人を非難ばかりする人、相手の足を引っ張ることに生きがいを感じている人・・そういうひとが集まっている世界・・というのを想像してちょっとぞっとしたんです。
  1. 2004/12/04(土) 05:15:24|
  2. 精神観念論その3|
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精神観念論のおはなし

ちょっと小難しい話ですので、頭が痛くなりそうな人はとばしてくださいね。

ニシヤン式観念論の基礎になる(?)話なんです。

近代文明は物理学を中心とした科学がひっぱって来た面があります。もちろん、哲学的には「科学は主観的な体験そのものを記述することはできないが、他の人が使えるように、体験を記述する努力をしてきた」といえます。

たとえば「目の前にリンゴがあったんで、食べてみたらとてもおいしかった」という体験を考えます。食べた本人は、食感や味を体験していますが、他の人はわかりません。視覚などの五感的な方法のほかに、現在では「化学的な成分分析」という手段を持つことになりました。このように、様々な方法で体験を説明することができます。

さて、現在、この科学の発達により、人類は驚くほどの専門的な知識を持つことになります。さて、そのなかで「物理学」を中心にした学問分野がちょっと面白い動きをしています。

確かに物理学も、より分析的になっている面もありますが、同時にこの学問は、分析とは逆方向の取り組み(=統合への取り組み)がされているんです。 法則を見つけようとする試みが統合への取り組みそのものといえます。

物理学者は、一つであることを説明する理論や法則、具体的には、すべての物質の成り立ちや運動、宇宙や時間などの成り立ちを表現する単純な方程式(=つまり法則)を見つけようとしています。

バラバラに見えるものに対し、それは分離してみえていながら、実は、一つであるという見方、統合的な見方もできるということを示そうと頑張っているわけです。もちろん、それを説明するまでの過程は、素人がついていけないほど複雑なものです。しかし、出てきた結果は、とてもシンプルで簡単な法則(式)なんです。

もちろん、その過程でも、学ぶべきことを教えてきました。たとえば、目に見えないものも存在すること(たとえば、電波とか、紫外線とか)、・・などなどいろいろとあります。

さて、学問的には、すでに物理学の最先端は「観測や実験から法則を導き出す」というレベルの限界点にきています。実は最先端の人たちの考え方は「直感が先にあり、それをうまく矛盾なく説明できないか」という取り組みであるんです。アインシュタインの相対性理論も、このパターンです。(理論の正しさを示す観測データが、理論発表後に確認されて、ヤッパリかー・・笑・・となりました。)

さて、ここで大胆に、一気に飛躍して考えてみます。つまりアインシュタインのごとく(笑)です。 ただ、この結論は、あまりに大胆すぎて「ほぼ、信じられません」それは、次のようなものです。

「すべてのもの、すべての考え、想像できるあらゆるものは、一つのものである。しかもそれは自分そのものである」という結論です。統合していくとは、一つのものとしてみていくということです。その究極は、「全ては一つである」という単純な考え方になります。すべての中には「自分」も当然はいります。

これは、納得できるように思える人もいます(?)が、よく考えると凄いことを言っているんです。

例えば、世の中には、他人がいます。自分が尊敬する人、歴史上の偉大な人物・・それらは全て自分であるということなんです。また、同時に、他人でも自分が避けたくなるような人、残虐な殺人犯・・これらも自分であるということなんです。これを信じますか?・・といわれて信じられる人はよっぽどの人でしょう。

全てはひとつであり、同時にそれは自分自身なんだ・・これから、ちょっと分離のほうに近い考え方をしてみます。これならある程度は受け入れられそう(?)です。

それは、全ては自分とつながりがあるという見方です。

これならどうでしょう?。このぐらいならなんとか大丈夫かもしれません(?)ね。

理論的に「全ては一つである」ということを出発点にして、様々なことが考えられます。そこに物理学の理論を当てはめるわけです。物理学は確かに、狭い範囲(=つまり部分)での法則といえますが、近年、「部分が全体についてのパターンを内包している」という理論もあるので、これ自体はそれほど突飛な考え方ではありません。

「全ては一つであるという見方」と「物理学が発見してきた理論」で、さまざまな面白い結論(あるいは、信じられない結論、信じたくない結論)を導くことができます。


今日の日記がかなり長くなったので、またの機会に、いろいろと、お話することにします。





  1. 2004/12/01(水) 22:53:19|
  2. 精神観念論その2|
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