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----------------------------アフィリエイトサイト管理人の「発想の転換」日記~「楽しい精神観念論」

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準備はできていますか?

日本は「資本主義」という考え方を採用しています。
資本主義が本当にいいものなのか、わからずに採用してきました。
いや、本当は分かっていました。

資本主義とは、すなわちマネーゲームであるということです。(注 マネーゲーム自体は別に悪いとは思いません。)
ところで、いろいろなゲームがありますが、ゲームって面白いですよね。
この「オモシロさ」は社会の推進力になったといえます。ただし、ゲームは面白い反面、負けるときがある、いや負けが付きものであることを忘れてはなりません。

本当ならば、負けてもゲームだからしょうがないといえるような構造を価値観にもとづいてつくっておくべきだったといえます。(国家が当てにできないのなら自分でやるしかありません。)

すなわち資本主義のゲームとして最低限除外しておくべきものがあったのです。(そうすれば、さほど深刻にもならず、負けた場合でも楽しくゲームをつづけることができたでしょう。)

例えば、住む家です。たとえば、食料です。たとえば、医療です。たとえば教育です。(参考・・いずれ消費税はあがるでしょうが、たとえば、食料品だけは消費費税率アップを据え置くというような「価値観」にもとづくような考え方が、ようやく出はじめてきました。

日本より豊かではない国のなかに、人々が広く自然に溢れた家をもち、食料も無料、教育も無料という社会を実現した国もあるのです。(当然ながら資本主義を採用していない国です。)


日本全体をみるなら、ゲームに敗れた人たちは悲惨な状況にあってもしかたがないというのが今の現状です。そしてまた、年月が進むと、ゲームの勝者たちは、自分達が負けないような制度(自分の利益を守る制度)もつくっていきました。


(地球全体を見ても、住む場所もなく明日の食べ物を心配しながら生きている人がいながら、日本を含め先進国達は勝手な理由(=たいていは国家など、制度的理由)をつけて放っている状況です。食べ物がないという一方で先進国では食べきれない量の食料を捨てています。)


批判的な口調になってしまいますが、続けます。
国家の運営者(=つまり政治家や官僚)は民間とくらべても結構収入が高いといいます。
で、そういった人たち(=簡単にいうと学歴社会の勝者で、いわゆる頭の良い?人たち)のもたらした結果が今のざまです。(ざま・・というより単にゲームに敗れただけかもしれません。)

今日、びっくりしたこと。国の借金残高が780兆円を突破しました。昨年3月末に比べなんと、78兆4000億円増えています。

日本の1年の国家予算分がさらに借金として、この1年間に増えました。サラリーマンでいうと年収分の借金がさらにふえたということになります。ものすごいペースです。


これをどうするのか、今必死になされているのは国民をごまかすということ、さらにゲームを仕掛けているということ、です。ゲームを仕掛けてきたということは、ギャンブルと同じで「ごく一部の人だけが(経済的な意味で)勝ち組になる」ということをもあらわしています。

準備はできていますか?


国の借金という経済の大津波は、準備もされないまま(=日本の現代社会の高コスト構造)、やってくる可能性があります。すでに、経済の津波は発生しているのであり確実にやってきます。問題はいつどのような形でやってくるかということだけです。

そうそう、津波というのは高いところに逃げれば助かりますよね。これは、経済的な意味としてはどう考えたらいいか・・ということになります。 そういう例が最近の歴史であるのかというと「1990年代のロシア」です。

・・今ロシアは割りと元気だから実はインフレってたいしたことないのでは?・・それは調べて考えてみてください。
貨幣価値が崩壊した社会で強いのは「自給自足的な生活」です。
今の日本では、はたしてどれだけ可能でしょうか?

(追記)昔、世界史の先生が歴史を見るには「土地政策を見ればいい」というようなことをいっていたのを覚えています。土地政策によって(私が思うのには)国民を豊かにすることもできるのですが、土地政策によって国民を(間接的に)支配、搾取してきた というのが歴史です。

さて、いま日本で景気が悪いといっています。実現性の低い話ですが、たとえば、家賃が今の3分の1程度にまで、あるいは2分の1程度にでも安くなったら生活はカナリ楽になるのではないでしょうか。そして、個人消費も爆烈して増えることでしょう。 この実現のためには過激な方法(土地建物関連のみのデノミ)から妥当な方法(たとえば税金面での方策)まで様々な手段があるはずです。・・しかし、関係者や関連団体の反対で実現性は薄いとはいえるでしょう。

老後の生活にこれだけかかる⇒これだけ必要だ
医療費がこれだけ大きくなる⇒これだけ不足だ

マスコミもよく使う、役に立たない「発想パターン」です。

なかなか老後の生活の費用がかからなくなるような政策はしようとしません。(生活費の大きな部分は住居費です。)

患者が払う医療費はあがっても、政府が医療機関に対し払うお金はなかなかへりません。・・

いずれも関連団体(そして政権の支持層でもある)の猛烈な反対があります。



関連団体ととても呼べそうもない「バラバラ組織(?)」がサラリーマンです。サラリーマンが(自分が勤めている会社の枠をこえて)関連団体としてまとまるというのは期待しにくいので、できることは、自分(と自分の知り合い)でやるしかありません。

..ありがたいことに(?)リスクはあるけれど(...つまりゲームをしかけられているともいえるが..)自分でやる手段が出てきているのです。...いわゆる投資や副業ビジネスの話です。


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  1. 2005/06/25(土) 19:28:23|
  2. 政治経済ほか|
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どっちが正しいか?

原則や考え方を「知っている人」でも、ある種の「思考の壁」と呼ばれるものがあります。

原則を理解していても、どうしても「なんらかの理由をつけて例外をつくってしまう」のです。よくあることです。

原則を応用できる範囲が広がったとき、視野が広がったように感じます。では、今日の日記です。

「楽しいと思えるほうを選びなさい」というのは新しい時代の原則を簡単な言葉で言い表したものです。

この考え方は聞いたことはあっても、イザというときに、楽しいほうではなく、正しいとおもえるほうとか、有利におもえるほうを選択してしまうことがあります。

どっちが正しいか?あるいは、どっちが有利であるか?というのを判断するのは実はとても難しいんです。(どっちが・・という問いかけをするときには、たいていどちらにも利点も欠点もあるものです。) ついでにいうと、考えていたり議論しているうちに時間が過ぎてしまって、何もできないうちに状況がさらに悪化してしまったり、チャンスを逃してしまった ということになります。

そこで楽しいと思えるほうを選ぶという考え方です。
まず「突拍子もない(?)」ことをここでいってみます。

今、たとえば、国会で郵政民営化の議論がなされています。
そして、賛成派と反対派がいて、どちらがいいのか?つまり、どちらが正しいか?というのを論理で議論している様子をTVで目にすることもあります。

そこで、突拍子もない(?)提案です。
郵政民営化をする・しない・・楽しいと思えるほうを選んだほうがうまくいく 

ということになります。一般に、民営化は経営の自由が増えることになるので「楽しい試み」ということができると思います。

この話(=民営化するほうが楽しそうだから賛成 という考え方)、突拍子もないと感じた人は、政治家や官僚(笑)か、雇われサラリーマンの人でしょう。

「そんなんで簡単に決めていいの?うまくいくの?」・・そんなんで簡単に決めていいから「突拍子もない(?)」提案なんです。

一部の会社経営者は、この提案に全く同意見だと思います。
会社の大きな方針を決めるとき、楽しさを選べる人、選んでいる人は『原則を知っている経営者』です。(経営者の考え方は「普通の人とちょっと違ったところがある」ので本などを読んでみることをオススメします。)

(どうすれば楽しくなるかという段階の思考が一つ落とし込んだレベルでの話です。たとえば、上司の命令をただ実行するだけ・・なら楽しくないのはすぐわかると思います。 やはり、自分の相違工夫ができる余地があり、信頼されて仕事するほうが楽しいのはいうまでもありません。)

斉藤一人さんは、この分野のキャプテン(笑)みたいな人ですが、やはり面白いことをいっています。

・・資本主義と共産主義の戦いで、歴史上、多くの人が命をおとしてきたけど、「どっちが正しいか?」ではなくて、「どっちが楽しいか?」を争っていたら、誰も死ななくて済んだはずだよ。
ケンカになってしまうのは、どっちが正しいかを主張しあったからなんだ。」

・・「先日、ある人から、こんな相談を受けた。
「兄弟の仲が悪いので会うとイライラしてしまいます。どうしたらいいですか?」・・(管理人・・若貴か?笑)
これも、どっちが楽しいのかを考えれば、簡単に解決できるんだよ。そうすると、会わないほうがいいということになる。
兄弟だから会わなくてならない、とか仲良くしなくてはならないというのは「どっちが正しいか?」という考え方からくるものなんだ。」

(管理人)・・マスコミ等のニュースの取り上げ方、(さらに最近増えた法律系のバラエティ番組)は、どっちが正しいか・・という従来の見方を表すものです。どっちが楽しいか・・で物事を進めた場合、どっちが正しいかで選んだ場合よりも、ほとんどの場合、いい結果をもたらしてくれる・・というのが新しい考え方です。

というか、風水みたいなものよりも遥かに強力な「知恵」といっていいものです。 
  1. 2005/06/20(月) 14:06:54|
  2. 「発想転換」日記|
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答えはあなたが知っている

発想を考える際に、いわゆる「発明家」といわれる人たちの考え方はとても役に立つことがあります。そして、その発想の仕方は発明だけに限ったものではなく、他のものにも応用することができます。

今日とりあげるのはコレです。
答えは他の人(たとえば専門家)が知っているという幻想

何か問題が生じたとき、どうしたら良いかを本や、誰か他人にアドバイスを求めたりすることがあるかもしれません。

あるいは、特に求めたわけではないけれど、他人が、もっともらしいアドバイスをしてくれることがあるかもしれません。

しかし、本当の答えを知っているのは自分自身である というのが基本になります。自分よりも他の人がより知っているというのは幻想です。

こういうと、他人のアドバイスなど聞かなくていいのか?とおもうかもしれませんが、そうではありません。

自分の考えに基づき行動すること自体は別に悪いことではありません。いいたいのは、アドバイスを聞くにしても、それを自分がどう感じるかが重要となるということです。あるいは、アドバイスのどの部分が良さそうと感じたか、ピンときたか・・という見方が重要となります。

ここで、アドバイスをする側が、悪意ではないけれど、一つのパターンをもっていることがあることを指摘しておきます。自分が苦労してきたから、相手にはその苦労してほしくない・・というパターンがあります。あるいは、自分が成功してきたパターンを基準に、ほかはダメと判断することもあります。

たとえば、結婚相手を判断するとき、進路について判断するときなど、問題が生じることもあります。

人生の目的が安定ならば、苦労がすくないだろうと思えるアドバイスは的を得ているといえるかもしれません。・・しかし、アドバイスを受ける側が同じ観念を持っているとはかぎりません。

問題が起こるとすれば、この例なら、アドバイスをするほうが、成功とか安定とかを基準にしているのに対し、受ける側は、成功するしないとか、苦労するしないではなく、「経験してみたい、やってみたい」という場合があります。(意識していなくても『知っている』人は、アドバイスを求めていながら、実はいろいろな意見を聞いて、自分の決心が揺らぐかどうかを試す人もいます。)

少なくとも、人生の目的は経験すること、あるいは経験から学ぶことだという見方ができれば、物事の判断は全く異なるものになります。

そして、歴史の偉人達や悟りに近い人たちからいわせてもらえば、人生はあきらかに経験するためにある、あるいは経験から学ぶためにあるということができます。(人生全体をみるには、数十年の自分の人生ではこころもとないので、やはり過去の人たちの人生とその考え方を、改めて全体として見ることが必要だと個人的には思っています。)

経験から学ぶという考え方ができるなら、経験と結果のバランスを(ある程度)とっていくこともできるでしょう。つまり、もっともダメージが少ない方法での学び方を探すということもできます。(何度がいっていますが、小さい経験で学ぶことができれば、わざわざ大きな失敗をして学ぶ必要もありません。)

親がするアドバイスに、経済的な心配からくるものがあります。
たとえば、歌手になるといった成功者が少ない分野です。この場合、反対する親自身が、イザと言う場合に経済的に援助できる状況にもかかわらず言うことが多いです。イザという場合に援助できないから反対している例は少なく、イザという場合に助けることができるのに反対する場合がみられるのです。

失敗した人に「だから、私の言ったとうりでしょう。」みたいな言葉を言う人がいますが、考え方や判断がすぐれているとか正しいということには全然なりません。ただ単に観念が違うだけなんです。そして、どちらかというと逆に、「貧しい観念」とさえいえるかもしれないのです。

「失敗したら、飯と寝床の心配はしなくていいから、好きなことを精一杯やってみろ。」・・このように「成功するかしないか、あるいは、成功しそうかどうか」ではなく、「経験することこそ糧になる」(=後悔をしない生き方)と考えられる人は少ない(?)といえます。

さて、発明の話に行きます。
「新しい発明を教えてください。」
「どう発明したらいいんですか?」

こんな発明家はいません。あたりまえですが、他人に教えてもらうのではなく、自分が発明するから「発明」なんです。ところが、その発明が生まれるキッカケは実は他の人が与えてくれることが結構あるのです。

家族や、他の人のちょっとした行動や発言がヒントになるんです。・・これこそ「ピンと来た!」です。ピンとキタ!となぜわかったんでしょう?(笑)・・・あえていうと、実は答えの種のようなものが自分のなかにあって、それとめぐり合ったときにピンときたのです。種のようなものが自分の中にあることを「知っている状態」とここでは呼んでいます。

同じことが、人生の問題にもいえるというのが今日の日記です。
さらに、発明家から学べることは「種のようなもの」(例;幸せの種)は、もともとあるともいえますが、自分の好みで、つまり品種改良(?)して改めて植えていくことができるということです。



以上のようなことから、すぐれたアドバイスとは、様々な考え方や知識を提示して、相手に選ばせるというものです。改めていいますが、答えを一番知っているのは、アドバイスをするほうではなく、アドバイスを求める側だからです。


ただし、アドバイスを受ける側が、何でも相手に頼りきっている状況のときは、時間がかかることがあります。「自分」がはっきりしている場合、実はアドバイスをするほうもやりやすいし、答えもすぐでるんですが、そうでない場合は、何をやりたいのか、どう変えていきたいのか等をはっきりさせる時間が必要だからです。

また、実際にいろいろやるなかで徐所にわかることも多いので時間がかかるのです。

(注 時間がかかることそのものも否定的だとは限りません。目的達成まで時間がかかるとすれば、それだけ充実した貴重な時間を長く経験できることも意味するからです。)

最後に・・経験から学ぶにせよ・・ある程度「結果」を意識したい場合のアドバイス(笑)です。

もともとの出所の観念を吟味することが必要です。

不安や恐怖心、焦り、嫉妬、・・こうしたものから選んだ選択は、選んだ本人にとっては、欲しくない結果になる という法則があります。

現実社会の生活によくある(?)単純な「打算」からの選択は、結果も中立(打算の結果の勝ち負けやそれにともなう喜びや失望はあり)といったところでしょう。
  1. 2005/06/18(土) 16:13:48|
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