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神経細胞には「もともと繋がっていない構造があるのだ。」
繰り返しにより「
酵素の働きで、実際に強い電流が流れるように、細胞レベルで変化が生じるのだ。」
・・そして、この「学習体力」をつけることが、現在の実力から大きく飛躍する鍵になるのだ。
・・前回の話でした。
酵素の働きが介在することから、「酵素が働きやすい体質に生まれている人」も、もちろんいるでしょう。しかし、ほんとんどの人にとって、その道のプロ(大学教授・通訳等)になれるだけの能力を要求されているわけではありません。
・・ドラゴン桜でも取り扱われていたように、
訓練により「学習の基礎体力」をつけることが重要事項なのです。(訓練とは、覚えることより、訓練することのほうに重点があることに注意してください。前回話した『(無理に)覚えようとしない』学習法もそのひとつです。
ドラゴン桜の中で「
頭がからっぽな奴ほど東大に合格しやすい素質をもっているんだ」と桜木先生に言わせたのは、この訓練の部分なんです。・・多分・・笑。)
因みに、今では一部認められるようになってきましたが、「大人のためのドリル」(簡単な計算問題がたくさん入っている問題集)が
訓練教材として見直されています。しかし、
昔なら、簡単すぎて何の効果も期待できないやるだけ無駄な問題集、大人がやるようなもんではない。と鼻で笑われて、見向きもされない類の本だったのです。
実践的な話で言うなら、確かに、いい問題集や参考書は存在しますし、今は、昔と比べてもいい問題集や参考書が増えています。英語ならCDつきなんていうのも当たり前になってきています。(今学生の人はラッキーですね。)・・・・・ただし、訓練や能力開発という視点がないと「東大合格者と同じ問題集をやったはずなのに、自分にはさっぱり実力がつかない。やっぱり自分は頭が悪いのだろうか?」というようになってしまうといえます。
・・さて、この「学習体力」は、かなり無意識に(?)訓練されている場合があります。いわゆる「年収の高い家庭に生まれた子供は、家庭教師をつけるなど、かなり小さいころから『学習体力』をつけさせるような教育を受けています。たとえば、(普通はできませんが)、子供が小学生になる前に2~3年でも外国暮らしをさせることで、あとで英語を覚えなければならないときに「単語や文章を覚えるスピードにおいてカナリの差となってでてくるのは事実です。」
・・さて、今日の話題です。かつてシュリーマンという15ケ国語をマスターしたといわれる語学の天才がいました。(トロイ遺跡発掘で有名になった人です。)
彼は、かなり貧しい環境で育ったようで、まあ、自分で考えて努力した人だといえるでしょう。記録では、ポーランド語やスウェーデン語はわずか24日間でマスターしたと言われています。
彼の言っている学習法を紹介します。
「
非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること。また、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること。毎日直されたものを暗記して、次の時間に暗誦すること。」だそうです。
・・「学習体力をつけること」 と、一方で「毎日しっかりと覚えていくこと」、「暗記すること」と、「表現していくこと(アウトプット)」の「バランスが素晴らしい」と私は感じました。(たいていは片方しか実践していない人が多いのです。)
さらに、シュリーマンが「
わかってやっていた面白い話」があります。
リアリティを持たせるために、
その外国語が分らない人でもいいから、人を雇って(←凄い・・笑)、その人の前で学んでいる言語の文章を読み上げたというのだ。・・「私と同じ!」(笑)という人もいるかもしれませんが、英語を勉強するときは、自分のレベルに関係なく「アメリカ人になりきる」ということが効果的なんです。(俳優役者で、登場人物になりきることで、せりふ が簡単に覚えられると発言する人が多いです。)
だから、教科書の文(習った文章)でも国際会議かなんかで、自分が今、その文の内容を「演説しているかのようなつもりで」音読すると効果的なんです。中で、強調したい内容(だと自分で感じたところは)、強調して読んでいくことになります。
因みに、欧米人は話すときに、日本人が日本語を話す時に真似してやるとキザっぽくなる(笑)「手を使ったある種のパターン ジェスチャーをもっている」ので、英語を読むときには、そんなのも真似して「ナリキル」のがコツといえるでしょう。
どういうジェスチャーか?って・・・・ニュースなどで出てくるインタビューなどの映像をよく観察してみてください(笑)。
最後に、
すでにある程度「学習体力」がある人(=頭がいい人)は、当たり前にできることについては「訓練の必要性を感じません」。ところが、頭がいいとうぬぼれてきた人たちも、(たとえば)東京大学合格のようなハイレベルの目標に対しては、自分のいけそうな大学に志望校を変更するか、あるいは、考え方を変えて「訓練」という視点をとりいれてやり抜くか を選ぶことになります。(・・実際には、すべてのレベルでこの選択がおこります。)
その結果、東京大学合格体験記には、頭のいい人たちにしては、一見似つかわしくない「同じ数学の問題集を3回繰り返した」といった地味なコメントが多く見られることになります。
・・というのが私の個人的な意見です。
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- 2005/09/07(水) 15:30:49|
- ドラゴン桜|
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