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残念ながら1度も出会ったことがありません。

ひとりさんの今日の言葉から

・・今日一日
・・人に優しく・・・自分に優しく・・でいこう

よく、人に優しく自分に厳しくって言う人がいますが、そういう人に残念ながら一度も会ったことがありません。自分に厳しい人は、人には倍ぐらい厳しいものです。

 やっぱり一番いいのは人に優しく自分にも優しくですよね。 そういう人の周りにはいつも優しい波動が漂っています。


(管理人)
「正しさ」「公平性」・・・っていう言葉や考え方には素晴らしいものがありますが、いっぽうで極端に陥ってしまい「やさしさ」を忘れがちになるという面もあります。(個人的には、正しさや公平性というのは、「論理」を元にすることから、狭い考え方だと思っています。)

よく物事の結果に対して「自己責任」という言葉を「わざわざ」持ち出す人や政治家がいます。・・私も自己責任というのは「すべての原則」だということに異論がありません。

すべての原則であるとは、「自己責任」が他人を責めるための道具でもなければ、他人をあざ笑う手段でもないということです。あるいは、何かの被害にあった人をかわいそうだと思うことでもありません。 
それは、経験や状況から何かを学ぶことであり、また、何かを変えるチャンスのことです。

たとえば、「自己責任だから○○するのはおかしい、不公平だ」という主張がありますが、これなんかは「おかしな発想」ということになります。

最近のマンション耐震強度偽造事件の被害者(?)と呼ばれる人たちに対してもそうです。すべてが自己責任とは、文字どうり「すべてが自己責任」です。

国に対し補償を求める(というか願う)というのも「本人達が、自己責任でおこなうことであり、わきがとやかくいうことではありません。」(注、とやかく言うというのも、もしそういうことをしたいのなら自己責任でおこなってもいいということもいえます。)

もちろん、そういう主張は「公平性」の観点から認められないかもしれません。あるいは、国や自治体にも責任の一旦はあるとして認められるかもしれません。あるいは、「社会的な影響の程度が大きいとして」自治体が援助にのりだすかもしれません。結果、見ている人は「なんて世の中、不公平なんだ!」と憤慨する気持ちをいだくかもしれません。あるいは「やっぱり、世の中ってそういうもんだ。」と諦めの気持ちを抱くかもしれません。

実は「自己責任」とは「自己選択」のことです。選択があって結果があるからです。「自分が不幸だ。自分はついていない」と考えることも、自己選択の結果です。

A交通事故にあったから「自分はついていない。不幸だ。」
B交通事故にあったから「自分はついている。貴重な経験をすることができた。」

どちらの選択をするかは決まっていません。常に自分が決めています。 これこそ「自己選択」であり、個人個人、経験する状況も違うわけであり、それこそ「自己責任」であるということができます。

以前書いた日記です。
⇒良くないことが起こったとき、起こりそうなとき


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  1. 2005/11/26(土) 01:54:25|
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→一人さんの「今日の言葉」
→日本一語録?

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