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新しい見方は「画期的」でも「刺激的」でもない

新しい見方で物事を見る・・ということを話していますが、これは決して「画期的」でも「刺激的」でもありません。(しかし強力ではあります。)

だから、「期待してたけどがっかりだよ」という反応があります。・・しかし(私から言わせれば)

がっかりだよ、期待はずれだよ・・という言葉が出てくる源に「ダメな原因」があるということになります。

・・道端に美しい花が咲いている・・ことにあるとき気づき、「こんなに美しい花だったんだ」ということに驚くことがあります。花はあなたが気づく前から、ただそこに美しく咲いていただけです。花が美しくなかったから気づけなかったのでなく、美しかったのにもかかわらず、ただ気づくことがなかっただけです。

「気づき」ということでいうと「現代社会」ほど、意識的に気づくことが必要な時代はありません。・・もちろん、いつも言う「資本主義」の考え方が根本にあります。

たとえば、TVです。TVのタレントは、面白いことや注目を引く言動、何かの過激な告白・・このようなことで視聴率をあげ、そして(経済的な意味で)価値があるとされています。・・しかし、はっきりいって「商売で利益を上げるという目的には適うとしても」、もっと大きな社会の問題を解決するということには、ほとんど役に立たない発想が背後にあります。

だから最近も「0点マスコミ」(笑)と呼ばしてもらっています。

そこには「いくつかの概念」・・つまり、「思い込み」や「(早急に結果を求めるといったような)過剰な期待」というのもあります。

具体的に話していきましょう。

「あなたは男の浮気を許せますか?」こんなのがあります。そこには「男の生理」とかいろいろ原因らしきものがあるでしょうが、もとの発想については触れられることがありません。

そもそも、浮気であれなんであれ、(何の脈略もなく、自分とは関係なく)偶然、そして、勝手にされるものだという認識があります。・・・「浮気される原因がない人は、浮気をされることはなく、それでも浮気されるとしたら、ただ単に浮気されるという出来事を通して自分が学ぶチャンスを与えているだけある」のです。

どっちが悪いのか?・・というよくある「裁きや判断の心」があるときに「学ぶ」ことができなくなります。(たとえ、事実であっても)「悪いのは浮気するほうだ」とすべて相手のせい にした時、あなたは「学ぶ機会を失った」のです。(もちろん、学ぶチャンスは何回もあるようなので、同じことは将来起こることがあります。現象としては、浮気される人は本人が気づくまでとことん浮気されることになります。相手を変えても同じことです。だから、若いうちに異性と付き合う人数が増えている日本で、「男は浮気する動物だ」(笑)という女性が多数わきでてきても不思議ではありません。)

★「期待の海」で溺れるな!

ここからは「がっかりするような話」です。期待というのは、いろいろな形があります。資本主義の中で「利益を上げていかなければならない」というのも期待です。また、「問題を解決しようとする」のも期待です。しかもこの場合は、短期間に目覚しい形で解決してほしいという期待です。

問題を解決しようとすることが悪い・・という意味ではありません。ただ、溺れてはいけないということです。溺れてはいけないとは(回りや他人の反応とは別に)「いろんな意味で余裕を持て!」ということです。

昨日だったか、TVで教師50人が集まって、なんやかんややっているのを見ました。まあ、相変わらず「0点マスコミ」(笑)の取り上げ方がされた番組でした。たとえば、体罰に賛成ですか?・・みたいな、議論にはなるけど、役に立たない質問を出していました。もちろん、「不登校」「学級崩壊」などが伝えられるように、教育現場は想像以上に荒廃(?)しているのは番組を通してわかりました。

「いろいろ言っているようだけど、じゃあ、あんたに解決策はあるのか?」

コレに対しては、皆さんをがっかりさせる発言を言わなければなりません。それはこうだからです。・・頭で考えてすぐわかるような「解決策などというものはない」からです。

何か画期的な解決策というようなものがあって、それをやれば問題が即座に解決するのでは?・・という発想は「過剰な期待」なのです。(注意:安心させるために「(見かけの)解決策」を提示するということはあります。)

「相手をなんとかしなければ」というのは「ある意味、そう思う人の思い上がり」といえます。それは簡単な理屈であり、「なんとかしなければならないのは本人だから」です。そう考えると、少しは、過剰な期待を離れることもでき、「なんとかしなければ」という余計なプレッシャーからも解放されます。

そうすると「何が残るのか」・・それは「自分のペースで、今何ができるのか?何か工夫はできないのか?」という発想です。(自分に何ができるのかを考えそれを実行することが愛であるという人もいます。できることは「ただ抱きしめてやり、そばにいてあげることだけ」ということもあります。)

・・よく見てほしいのですが、これ(愛)には「過剰な期待」がありません。

TVに登場していた先生方も(発言だけを見るなら)、0点マスコミにうまく「乗せられた」という意味で「0点」(笑)です。

因みに、番組の中で、私は「道端に咲く花を見つけることができました。」

・・それは、おそらく「実行した当人たちもそれほど期待してなかったけれど、まずはやってみよう」ということだったのでしょう。(←こういうのが本当は素晴らしいんです。)

「授業開始のチャイムを福山雅治のHELLOという曲に変えたら生徒たちが早く席に着くようになった」とか、「生徒のイスや机の脚にテニスボールをつけることで、音がしなくなり生徒の集中力が高まった」という実例をあげていました。

このような、一見効果がなさそうな小さな変化(←ここがポイント)を起こすことから、つまり、すぐに実行できる小さなことから「ちょっと変えていく」ことで、大きな変化がおこります。(当然ですが、それで問題がすべて解決するということもありません。)
⇒参考)特命リサーチ200xより「ニューヨークで行われた驚異の犯罪撲滅プロジェクトを追え!」

期待の海で溺れて動けない、・・また、あれやこれや考えすぎて過剰に期待した方法をやっと実行し、その結果に失望する・・のではなく、余裕を持って、できる工夫をしていき、効果が出たら喜ぶ・・というほうが「楽であり、楽しくはないでしょうか?」

因みに「病気が治ってほしい」というのも(気持ちはわかりますが)過剰な期待です。直るときには期待しなくても「病気はちゃんと直ってくれます。」

新しい考え方に、(もう経験を通して気づいている人たちもいますが)、「病気と共に生きる」という考え方があります。とくに難病にかかった人で、「直そう、病気と闘おう」というのをやめた人がいます。病気と闘うという心境が、心の余裕、人生の楽しみや美しさ、他人への感謝、笑いやユーモアの気持ちを忘れさせることにつながるからです。

そして、皮肉なことに、不治の病から奇跡的に回復した人のなかで「何が何でも病気と戦って治してやる」と息巻いている人が少なかったという事実があることを以前ここで取り上げました。

「余裕を持って生きる」「結果を早急に求めすぎない」・・こんな感じで行きたいものです。






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  1. 2005/09/29(木) 00:08:45|
  2. 小さな変化から|
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