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カトリーナ

私は、ブログというのは、「なんらかの縁のある人」が見に来てくれるものだと思っています。また、このような形式が将来(100年後とか・・笑)どうなるかわかりませんが、今、ガキをやっている人も(笑)10年後に(もしかしたら)目にすることになると想像するとなんか不思議な気がします。

さて、今日はアメリカ未曾有の大災害になりそうなハリケーン『カトリーナ』について。

TVで見た内容をいくつか取り上げてみたいと思います。

まずはある程度予測が可能な「ハリケーン」に対してブッシュ政権は何をやっていたかです。「クローズアップ現代」という番組をみました。

1999年にも大ハリケーン(フロイド)がアメリカを襲いましたが、このときはFEMAという組織が、ハリケーン通過予想地域の一軒一軒の家をまわり、300万人を避難させ被害を最小限に抑えたという実績もあったのです。

今回はどうだったのか?実はFIMAという組織はあるのですが、大幅に規模縮小・人員削減されました。代わりにテロ対策が中心の組織(国土安全保障委員会)が権限をもつことになります。

そうです。前回、ブッシュ政権が「テロ組織」をでっちあげたという見方があることを話しましたが、テロの脅威を煽ってテロ対策を重視しすぎて自然災害対策を軽視していたのです。・・しかもうまくいっていた組織ををぶち壊してです。

ところで、天下りというのがアメリカにもあるそうです。日本の場合、天下りや政官癒着といえば、公共事業です。外国の事情は私たちはなかなかわからないものですが、たとえば、(今の)アメリカは「軍事産業」がこれにあたります。武器を製造する会社が、利益をさらに増やすそうと、車ならぬ「武器のモデルチェンジ」をはかって政府に売り込みをかけ、そしてそこに企業と時の政権の癒着構造が生まれているんです。(かつての偉大な大統領アイゼンハワーは、冷戦下の状況にありながら、軍産共同体という言葉で警告を発しています。)

また、天下りだけではなく、その軍事産業の裾野も広がることになります。軍事関連産業に従事する人が国全体として多くなるのです。

実際は、巨大化した軍事産業を支える産業に携わる人たちも増えることになります。軍隊には人がいますから、食品会社とか、クリーニング関係なども軍事産業から恩恵をうけるという構造を形成します。


考えてみれば、これは「ほんとうに、恐ろしいこと」です。どこかで武力衝突があることで、関係者は仕事にありつくことができ、それによって生活がなりたっている・・という構造だからです。・・日本の場合は、公共事業のための国債発行による国の借金という形ですので、まだまし(?)といえるかもしれません。

ブッシュ政権の「テロ対策」の結果が今回のカトリーナの被害を拡大させたといえます。しかも、前回いったように「あの9.11テロさえも政府のデキレースだったという状況証拠もあがっているのです。」


イスラム教徒は「アラーの神が傲慢大国アメリカに鉄槌を下した」といっているそうです。確かに、近年のアメリカの傲慢さは目に余るものがあります。ドイツの環境大臣は「地球温暖化に背を向け、京都議定書を握りつぶしたブッシュに対し天罰がくだされたのだ。」と発言しています。

これだけだと、ちょっと抽象的な話のようですが、実は近年、アフリカなどで砂漠化が進行している一方、台風やハリケーンなど洪水の被害が世界中で拡大しています。これは、「地球温暖化のもたらすもの」と考えることができるのです。海水の温度が上昇しているからです。

専門家によると、海水温度が上がることで、水蒸気の供給量が多くなり、大雨になったり、また、台風やハリケーンが大型化するといいます。

今回のカトリーナもメキシコ湾が平年より1~2度高いことで「大型化」してしまったことが指摘されています。(高い温度で海水温が上昇するとき、水蒸気の供給量は低い温度の時よりも何千倍もちがってくるといいます。)

海水温が高くなかったら、カトリーナもメキシコ湾でこれほどのエネルギーを持つこともなかっただろうし、結果、これほどの被害はでなかったともいえるのです。



  1. 2005/09/10(土) 03:01:01|
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ドラゴン桜について2

ドラマ「ドラゴン桜」を見ています。⇒ドラゴン桜
ちょっと「かっこ良過ぎたりする」けど、桜木先生のセリフが(愛情がこもっている感じで)結構イイです。

何話か忘れたけど、ちょっと男性向けのセリフで、「人生には、己の思っていたのと全く異なる状況に直面することがある。そんなときこそ己の人間力が試されるときなんだ。負け犬のままで終わるか、あるいは歯をくいしばってでも己の道を貫くかだ。そういう選択をしなければならない場面があるんだ」というのは結構素晴らしいものでした。

自分の恋人に裏切られたとき、仕事のミスを上司が部下である自分のセイにしてきたとき、・・、自分にとって納得がいかない出来事、理不尽ともいえる状況に対し、たしかに人間力が試されるような場面があります。


(予告編を見る限り)次回はナカナカおもしろそうです。
ナンダカンダいいながら、「東大合格」に、やる気と自信を持ってきた生徒たちが東大模試を受けることに・・。

原作マンガがの結末はわからないんですが、(やっぱり合格で終わるのか?)、「あれだけ勉強したのに・・こんな試験結果だとは」・・という感じで、桜木先生への信頼や、勉強に対するやる気を失う生徒たち。
「所詮、夢みたいなことを信じ始めていた自分がバカだったってことか・・」




前回、私の教える生徒が次々とクラスで1番とか学年で1番とるようになったと話しました。方法はドラマと似たところ(というか当たり前の方法)がありますが、スタンスとしては「ドラゴン桜の桜木先生」とはカナリ違っていました。

「1番を取りたいなら、こう頑張れ」ではなく、「こう頑張れば、結構いいことあるかもよ」(笑)というスタンスでした。(教える側に変な期待があると、よくあるように?「教えた問題なのになんでできないんだ!ちゃんと勉強しろ!」・・というようになってしまいますし、これだと、教えるほうも教わるほうも苦しくなるだけです。

・・もちろん、目の前の結果にアクセクしないという私の考え方に御反対の親御さんもおられました。笑 宿題を沢山出してくれる先生とか、勉強するようにとビシっと言ってくれるようなイメージの先生を求めるご父兄も多いのです。)


さて、大きな考え方としては「前回話したもの」が中心となります。
個人的には「東大(合格)型勉強法」と「○大(合格型)勉強法」ということは、よく話していました。

A「自分の能力に頼ろうとするウサギ型」・・自分は記憶力がいいのでメモ帳なんていらない。
B「自分の能力に頼ろうとしないカメ型」・・記憶力がいいといっても、人は忘れるものだから、メモ帳を持ち歩こう。

そしてBのほうが「東大型勉強法」(=今の実力を大きく上回る成果を生じさせる方法)でした。昔、私が学生だったころ調査して感じたことは「東大合格者のなかには、同じ問題集を3回繰り返したというような地味(?)な合格体験記を書く人たちが結構いる」ということでした。

Aのほうは、まあいわゆる「天才小学生」タイプとでもいいますか、いけるところまではカナリ順調に能力を発揮します。ところが、(人によってレベルが違いますが)、「いままではあんなにスッっと頭に入っていたのが、(いろんな理由で)そうでなくなることがでてくるんです。」

そういう場面で、考え方を変えることができなかったり、「心理的葛藤」が大きいと大きなスランプに陥ることはよくあることなんです。
変な話、ずっと頭が良かった生徒の中には、成績が下がると「難しい問題ばかりをむきになってやるような生徒」もいるんです。当然、時間も取られることにもなり、かえって成績は上がらないという結果になります。
(よく進学校で、東大○人合格したなんていう記事を雑誌などで見ましたが、私は「スゴイ」という感想ではなく、トップクラスの優秀な生徒をこれだけ集めていて、この程度なんだ・・と思ったものです。・・いや、本当は世間は「同じことを違った受けとめ方をしている」のかもしれません。・・(小学生のころ)天才と呼ばれていたアノ○○ちゃん。東大ダメだったそうよ。そんだけ「合格するには難しい大学なんだわね」・・・というように。)


さて、東大型勉強法ですが、実は「成果があがるのは、よく考えてみれば当たり前」なんです。

目の前に1冊の参考書・問題集があるとします。
能力がある(と思っている)生徒は1回だけしかやっていないかもしれません。ところが、別の生徒はこういいました。
「この問題集は、もう30回以上は繰り返したよ」

つまり、東大型の地味な(笑)勉強法の発想の根本は「はじめから何回も復習することを前提に計画を組み立てること」なんです。

簡単な話だと、1回目はこう、2回目はこう、3回目はこうといったことを決めていくということです。実践的には、さらに時間の節約という話になります。時間の節約というのは、「考え方」を除けば「1つしかありません」・・・それは「書くという作業の効率化」です。書く作業は記憶が定着しやすいというプラス面もありますが、物理的な時間を取られるというマイナス面もあるため、充分検討する必要があるのです。

書くという作業についてですが、「あとで効率よく何回も復習できる形」に工夫できれば、さらに良いといえます。世界史や日本史などは、黒板にかかれたことをノートすることもあるでしょうが、たとえば、穴埋め形式のノート型の参考書を2冊買ってきて、片方に正解を書き入れておき、片方を熟読し、もう片方を確認用に使うなんていうのが一つの例です。
(理解するスピード・記憶のスピードについては、その時点の各人の能力でやるしかありません。)



たとえば、学校の英語の授業でも、ただ書き写すのではなく、(どうせ書くなら)穴埋めなどの問題の形にしておき、何度も繰り返し訓練できる形にしておくなんていうのも一つの方法ということになります。

私もドラゴン桜にでてくるようなテクニック的なこともカナリ実践、採用していましたが、重要な考え方をもう一つ紹介したいと思います。

相反する考え方に基づく勉強法を両方取り入れろ」です。

詳しくはのべませんが、数学なら「数学は暗記科目である」「数学は思考科目である」という2つの見方があります。この場合、それぞれの考えに基づく方法を両方取れ ということです。因みに、レベルは高いですが、高校数学といえば有名な「大学への数学」でも、問題を解き終わったあとの「知識の整理」(すなわち暗記に近い部分)を重要視しているのは明らかです。

英語の場合なら、変なことをいいだすと思うかもしれませんが、「覚えようとしない勉強法」もやっていました(し、やらせていました)。覚えなければならないことを覚えようとしないという変な(笑)勉強法です。
これは、ある意味「普通の人が馬鹿にしてしまうような誰でもできる簡単な勉強です。」

英単語でも、熟語や文法などでも、問題を見て、次にすぐに答えをみて確認したらそれで終了です。(注意:基本的には『書くことは(時間がかかるので)禁止』です。たとえば、英単語を模試かなんかに備えて覚える場合でも、10分なら10分と時間を決めて、とにかく「見て声に出して読んで、すぐ確認する作業」をします。)

ポイントとしては、「見て確認する」という作業は、簡単で時間もかからないんですが、馬鹿にしないで一種の訓練・頭の体操として毎日欠かさず行うことです。・・いわゆる能力アップの訓練という位置づけです。

やってみればわかりますが、しばらくすると「新しく見る単語でも、必死に覚えようとすることなく頭の中にはいってくるようになります。一度チラっとみただけで覚えていたなんていう、以前は考えられなかったこともできるようになってきます。まさしく「天才小学生」の気分(笑)です。そうすると、こなせる量もさらに増えていくことになります。」

・・因みに私の場合、勉強の成果を試せるようなテストを生徒にさせていました。教科書や参考書の英文全文を試験対象にして一部を「虫食い(穴埋め)」にしてあるテストです。穴埋め箇所が何十箇所にもなります。

異論もあるかもしれませんが、ついでに。
ドラゴン桜にかぎらずよく「英語は英文を音読するべし」というのがあります。これは、もちろん大賛成で、実際、高校時代の定期試験対策では、意味と発音がわかったら、あとはヒタスラ音読していました。

で、生徒に教えるときには、音読はもちろんなんですが、1点だけ工夫をさせました。それは、「スラスラ読まないこと」でした。英語は暗号解読ではないので、「意味のまとまり」が連続してでてくる構造になっています。
あえて、区切って読むことで(すなわちスラスラ読まないことで)、意味と音や文字を頭のなかで結びつける作業となります。(何回も繰り返すという作業は、次第に集中力がなくなっていくことになるため、短時間、毎日繰り返すほうが効果的です。区切るというのも「集中力持続」の工夫ともいえます。)

今日は、勉強法について、少々語ってみました。
  1. 2005/08/22(月) 15:48:11|
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財前吾郎もビックリ

近年のお笑いブームのおかげで、女子高生のように(笑)ゲラゲラ声を出して笑う機会が増えている管理人です(笑)。もちろん、ほかの系列(?)たとえば、スマップのコント・・特に稲垣吾郎モノは、面白くみています。 (稲垣吾郎モノでは、最近の「ササヤキマン」のコントが、メチャ笑えて腹が痛いです。笑)

さて、以前、「抵抗の明け渡し」というタイトルの日記で、次のようなことを書きました。

(抜粋)・・・癌などの難病で助からないと思われていた患者が、後に奇跡的な自然回復をしたケースを収集・調査した。すると、そうした患者は心理的に常人とは違う境地にあったことが判明したという。

 すなわち、彼らはなにがなんでも絶対に病気を治すと息まいていなかったというのだ。病気が奇跡的に治るようにと必死の願かけもしていないし、宇宙から癒しの力を引き出そうとしゃにむになってもいなかった。ただ病気の存在を含め、すべてがあるべくしてあるという、受容と感謝の心をもっていただけだという。

(管理人..医者+世間一般の思い込みに、「○○で病気が治るんなら、世の中、医者なんていらないよ」というのがあります。しかし、最近では、「白い巨塔」の財前吾郎も(笑)驚くような統計が発表されています。上でいった、受容と感謝もあるけど、もっと取り組みやすいものがあります。それは、なにかというと...........笑いです。

病気の人たちに「お笑い」を見せたり、実際に芸人にきてもらったりする治療です。(病人の人たちは「治療」だとはおもっていないでしょう。)生存率や回復率に目覚しい違いがでてました。・・もちろん医学的には、笑うことで自律神経がどうだとか、キラー細胞がどうだとか、結果、免疫力がアップしたからだという説明がなされます。(抜粋終わり)

で、本日TV「あるある大辞典」で「笑い」が健康にもたらす効果についての番組があるようです。

ついでに、再放送だったんですが、末期ガンで余命半年を宣告された主婦が、マラソンに挑戦したり、アイアンレース(水泳3.8キロ+自転車180キロ+フルマラソン)に出てゴールしたという「アンビリーバブル」番組も目にしました。

一人さんにいわせると「病人らしくないことをすると病気は治ってしまうことがある」ということになります。

『あのね、毎日ニンニクとショウガでレバ刺し食って、ステーキ食べている人に、体が弱い人とか、鬱(うつ)の人というのは想像しづらいよね。想像しづらいていうのは、起きないんだな、ハハハハ。だから、難しく考えなくても、大抵のことは、この組み合わせは考えられないって組み合わせにしちゃうとなくなっちゃうんだ。世の中ってすっごいシンプルなんだ。』

・・・・アンビリーバブルの例は特殊とはいえますが、病人らしくないことをしていることだけは確かです。彼女の場合は、病気が治ったわけではありませんが、すでに宣告から4年以上経っています。

もちろん、お笑い番組を見てゲラゲラ笑うというのも「まったく病人らしくありません。」

さて、昨日見たTV番組『エンタの神様』(←毎週見ている)に物真似が得意なホリがでてました。彼のモノマネ(というか人まね)が好きなんですが、「この人が絶対いいそうにない言葉」って、カナリ笑えました。(この路線は結構定番としていくといいのではないかと個人的に思います。)

で、福山雅治まねもおもしろかったけど、「えなりかずき マネ」が最高にわらえました。・・えなりかずきが絶対言わない言葉

・・・・(えなりかずきの声マネで)「先にシャワー浴びろよ」・・笑

あとは、「少年探偵」をやっていた「磁石」っていうコンビは、アンタッチャブル以来の(私にとって)激オモロコンビです。

・・笑いのツボは人それぞれでしょうが、自分でも何でこんなにオモロイのかと思ったシーンが、ドランクドラゴンの「カリスマミュージシャン」の中で、ミュージシャン役の塚地がライブ中にオニギリを食べるシーン(笑)。・・ドランクドラゴンのコントは、どちらかというと、あまりツボではないんやけど、「カリスマミュージシャン」コントはカナリ笑えました。
  1. 2005/08/14(日) 14:11:38|
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あなたの観念が受け付けないかもしれない話・・ 細木数子&江原啓之の番組を見て

今日は、江原啓之さんと細木数子さんのスペシャル番組をやっていました。細木さんの番組は、後半部分しか見てなかったんですが、いろいろ学べることがあったのではと思います。

ということで、「あなたの観念が拒絶するかもしれない話」です。逆に言うと、若いうちに、たとえば高校生ぐらいのときに、こういう話を耳にするチャンスがあればと思います。

今日は、まず、一人さんの「信じなくてもいいよ」話(改変版 笑)から。

「この話、別に信じなくってもいいから。聞き流してもらってもいいよ。あのね、人間というのは、死ぬと肉体は滅びるけど、でも魂って滅びないんだ。魂っていうとなんか実体のないような感じだけど、死んだらちゃんと自分の体もはっきりあるんだ。だから、自分が死んだことが分からない人もよくいるんだ。本人にしてみれば、自分は生きているのに、誰かから『オマエは死んだんだ』っていわれても、すぐには納得できないの。

でまあ、運良く(笑)成仏すると、魂は、魂のふるさとに帰るんだ。で、しばらくしてまた地上に生まれたくなるんだよ。で、生まれてくるにあたって、自分が成長するのに好都合なシナリオをあらかじめつくっておくんだ。

で、だれだってかわいいのは自分だから、自分に不利になるように決めてくるヤツはいないの。だから、人生には困ったことはおきない。

でも、なんか自分に意地悪したりだとか、自分のことを悪くいってくる人もでてくることがあるよね。もちろん、腹が立つかもしれないけど、そんなときは、こう考えるんだ。

この人は、前世で私が頼んできた人なんだな。こんな嫌な役目なのに、よく我慢して、私のために約束を守ってくれたな。ほんとうにありがたいよ。

こうやって、その人に感謝すると、約束していたその嫌な役回りはもうしなくていいよ というのが相手に伝わって、スッといなくなっちゃうんだ。こんなふうに、困ったことは起きないようになってるんだ。」

(管理人) 細木さんのTV番組は、女子高生スペシャルということでした。(やっぱりというか)、中・高校生ぐらいの女の子は、父親を嫌っていたり、馬鹿にしたり、バイ菌扱いする子が結構いるみたいで、細木さんに、「ガツン」と説教されてました。(夫に対し、そういう扱いをする妻も責任重大だといってました。)

で、これも「あなたの観念が受け付けないかもしれない話」だけど、親子(や家族って)お互いが学べるような役回りなんです。

つまり、別の言い方でいうと、他人はともかく、親を嫌うっていうのは、とてももったいないことなんです。つまり、女子高生が父親を嫌うっていうのは、とてももったいないことなんです。

なぜかって、異性である男性(の一部の特質)を受け入れることを、人生の早い段階で学ぶことができるからです。(というより家族の場合は計画にいれていたというほうが正確でしょう。) たとえば、たまたま自分の父親が暴力的な人だったとします。まず、そのような状況に対し、自分が学ぶためにそうなってるんだと考えます。学んでいる内容は人それぞれというしかありません。

たとえば、暴力に我慢しないことを学んでいるのかもしれません。もちろん、我慢しないといっても、やり返したり、睨み返したり、無視したりするということではありません。(たいていは、こうした反応というか態度に、頭にきたりイライラして相手もエスカレートします。)

いずれにせよ、この場合、自分が父親から暴力について学ぶことができなければ、後の人生のどこかで学ばなくてはならなくなります。(なぜかというと、生まれる前の自分が、「学ぼう」と計画したエネルギーだからです。)大抵は、あとで、恋人や、結婚相手から学ぶことになります。

つまり、表面的にはやさしそうで、暴力とは無縁そうにみえる男性を選んだつもりでも、結局、自分に学ばせるために(実は)暴力的な男性を選んでしまっていたということになります。本当に温厚な人だった場合、あなたのほうで魅力を感じなかったりして別れてしまったり、あるいは、暴力的な男性に豹変してしまうということもあります。

ですから、今、離婚率が高くなっているのは「子供のときに親から充分学んでいないから」ともいえるのです。

で、細木風にまとめるなら(?)
女性が幸せな結婚を望むなら、どんな父親だとしても、自分の父親に感謝すること が幸せの法則となります。

これが、判らないと「私って男運がないのよね。」とか「この前、付き合った男、マジ最低!」って、来世でも(笑)愚痴り続けることになります。・・・芸能界でも多いような(笑)

因みに、結婚については一人さんは、次のように述べています。
「結婚というのは、人生修行なの。だから自分と相性が悪い人と結婚するの。まだ、結婚してない人は、結婚って相性の良い人とするものだっていうんだけど、結婚したあとで、本当だった ってわかる事が多いの。

もちろん普通は、相手のことが好きだから、素晴らしくみえるから結婚するよね。でも、これは、オレが『ヘナモン』とよんでいる、まあ一種のホルモンみたいなものの作用なの・・笑。で、このヘナモンって段々減ってくるわけ。そうすると、自分が相性の悪い相手と結婚してたんだということに気づくの。

どういうことかというと、わざとではないんだけど、相手はなぜか自分の嫌がることとか、見ていてイライラさせるようなことをするんだよ。たとえば、束縛が嫌いな人には、束縛するようなことを平気でするようになってきたりするんだ。」

ヘナモンが減って(笑)、妻が夫をバカにしたり、ノケモノ扱いするようになったとき、娘が父親を同じように見てしまうのは、ある意味、当たり前であるともいえます。(当たり前ではあっても、幸せになれない心のあり方であることは疑う余地はありません。)

ちなみに、夫婦を含め「すべての人間関係のコツ」について、こういっています。

相手に期待しないこと。相手を変えようとしないこと。」だそうです。私なりにかっこいい言葉でいいかえるなら、

「ありままの相手を認めて、愛すること」・・ということになります。


  1. 2005/08/09(火) 22:39:59|
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お金持ちの視点

世の中には、「負けずぎらい」の人がいます。私もどちらかというと、そっちに近いと思います。スポーツをやる人は、この性格を持ち合わせている気がします。負けること=自分が惨めである、それが悔しい という気持ちがどこかにあるんです。つまり、それが嫌で頑張るわけです。
(もちろん、この性格がプラスに働く職業や分野も当然あります。)

負けず嫌いでなければ、割りと「人は人、自分は自分」という考え方を簡単にとれるようです。(私の兄弟が、そうでした。)

さて、負けず嫌いからくるのかもしれませんが、「お金持ちの視点」という話を書いてみます。

お金持ちになりたいと思うことや、お金持ちになったらやりたいことを想像することはあっても、「もし自分がお金持ちになったとき、いわゆる貧乏な人たちのことを、いったいどう思うのか?」というのは、あまり考えないことです。

まず、いえるのは、「基本的に、関心がなくなる」というのはいえるのではないかと思います。

貧乏な人が、お金持ちの人を「別の世界に生きている」というように、彼らも「貧乏人のことを別世界のこと」と考えているといえます。


ですから、あまりあり得ないのは「お金持ちのお節介」ということです。

たとえば、政治や経済に関心のない若者に対し、「関心を持たずにいて将来、経済的に負担増で苦労するのはあなた達なんだから、もっと関心をもちなさい。』とか『選挙には必ずいきなさい』とかは、恐らく絶対に言いません。(というか見たことがありません。)

もし言ったとしても若者のほうは、『余計なお世話なんだよ』というふうになることでしょう。実際、そのようなことを叫ぶ人(←お金持ちではない)の話を聞こうともしません。


この話は極端かな?とも思ったんですが、たとえば、選挙のとき投票に行く比率(=20代の投票率が一番低い)をみると、やはり極端ではないと思えるのです。仮に、ほとんどの人が、「投票という単純な意思表示」をするだけでも、世の中がとても早く変わると思うのです。

このような庶民や若者の行動の鈍さに対して、お金持ちの人たちは、動かないようで、動くときは実にはやく(表や裏で)動きます。自分達の利害に関係のある事柄については特にそうです。その結果、つまり、「庶民=なかなか動かない お金持ち=すぐ動く」ことで、彼らにとっては過ごしやすい世の中になっているといえます。

医療費アップとなって、TVで取り上げても「選挙結果は(今のところ)かわりません」。 投票率が低いからです。ところが、医療機関やそこで働いている医師などへの負担をいいだそうものなら、(国民全体から見ると、比率としてそれほど高くはないのですが)、すぐに大騒ぎになります。

そして、医療の質が落ちるだの、あるいは、医療機関の末端で働く人たちにとって大変な問題であるなんてことをいいだします。

ここで『おや?』って思ったかも(?)しれません。
庶民(=低所得層という意味)に関心がないはずの人たちが、珍しく声を上げているのです。

自分達に大きな影響のあるときだけは、「庶民の生活」なんてことをもっともらしくいいだすことはあるのです。(因みに、消費税アップなんていう話は、庶民が騒ぐほど、彼らは騒ぎません。消費税分は、節税と関係するので、やりかたによっては影響を小さくすることができるからです。)

さて、彼らの声の中によく出てくるものですが、それは「公平」と言う言葉です。その方法では公平ではない というわけです。たしかに、それだけ見れば、そうかもしれませんが、他方で制度的な不公平から自分達が大きな恩恵を得ていながら、今度は、公平を叫ぶというわけです。

中には、普段私達が「不公平」だと感じていない(?)こともあります。例えば、社長や役員の給料です、社長や役員の給料や退職金の額の妥当性はどうやって計られるんでしょう?


日本はまだマシともいえるでしょう。(今後は日本でも貧富の差が拡大していくことは予想されています。)

発展途上国では、やっとギリギリ生きていけるだけの低賃金で現地の人を雇っていながら、そのおかげで、会社が莫大な利益を上げることがあります。取締役は「経営のリスクを追っているのだから、これでも公平である」「彼らの生活だって以前よりも少しはましになったじゃないか」といいますが、本当にそうでしょうか?

歴史上、この構造に国レベルで気づいた例があります。いわゆる石油の話です。石油の価値に気づいた国たちが、先進国に対抗したのです。いわゆる妥当な条件でなければ「輸出しない」という言い分です。石油の場合は(?)先進国は、その必要性から相手の言い分を認めていくしかありませんでした。(で、その結果、アラブ諸国の人の中にも、大金持ちが生まれることになりました。)

続きです。

彼らはあるいは、「従業員に沢山の給料を払っていたら、他の会社との競争の中で生き残っていけない」というかもしれません。(そういいながら、自分の給料や、退職金は、たっぷりと支払う制度にしておきます。そして、会社の実態が酷い状況である場合でも、権利だなどどいって受け取ります。

会社の経営状態が悪い状況でも、制度だから受け取るよ って・・時給○○○円で雇われているアルバイトの言葉じゃないんです。そういえば、国をダメにしていながら、もらうものはもらうよ というのは今の日本の政治家や官僚ですが、まったく似ています。)

ただ、今は少しずつ、「これはおかしいんじゃないか?」という事柄がマスコミなどでとりあげられてきてはいます。

もし仮に、大部分の庶民が、そして大部分の若者が、いろいろなことに気付き、ごく単純なこと(=投票に行くとか)をしだしたら、まさしく、このことは「お金持ち」(=制度から恩恵を受ける側の人たち)にとって、とてつもない脅威となります。

こういう背景があって、かれらは、決して「寝た子を起こす」ようなことをしないのです。(そして、自分達が影響を受けるような動きを察知しただけで、表や裏で、庶民には考えられないほどの機敏さで行動するのです。)

ついでにいうと、上でのべたように「察知して素早く行動する」という資質が、お金持ちになる「心がまえの一つ」です。(現在のIT長者達もこの資質を持ち合わせているようにみえます。) ただ、「実現の手段」(=すなわち行動の内容)には注意してください。察知して素早く行動する人でも、違法性の高い行動を取る人がいるからです。何かのDVDをコピーして販売し、短期間に○億円の利益をあげて捕まるといったニュースを目にすることがありますが、一つの例ということができるでしょう。


さて、特殊な例かもしれませんが(?)、今日本は「銃社会」ではありません。
日本人の私から見て、「なんでアメリカは銃社会をやめないのか?」とおもうのですが、そうはならない構造は同じです。銃のない社会が実現すると「関連団体や、それによって利益を得ている人たちが困るからです。」そして、残念ながら、市民(=アメリカ人)は、「今だに眠っている」わけです。

(もちろん、アメリカは島国である日本と違って、密輸を防げないとか、今から全て回収するのは現実的でないとか、いろいろ理由をつけます。また、一般のアメリカ人自身が、銃がなければイザと言うとき安心できないといった考え方をもっています。ですが、一般市民や子供までが、自分を守るために「銃で相手を撃つ社会」が果たしてまともといえるでしょうか?しかし、こんな単純な話でさえ、なかなか実現されない現状を観察することができます。)




  1. 2005/07/28(木) 05:48:24|
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自分の人生に興味を持つこと

前回の「抵抗を明け渡す」の話では「求めるから得られない」という原則をはなしました。

単純な理屈では、「お金を(マトモな方法で)儲けたいなら、お金儲けのことを考えるな」となりますが、「お金儲けしたいのに、その方法がお金儲けを考えるな・・ってどないなっとんや」(笑)てな感じでしょう。..でも、この禅問答みたいな受け答えは、お釈迦様やイエスキリストなんかもよくしているんです。


さて、もうちょっとわかりやすい解決策の一つが今日の日記です。
「執着していいことが唯一あるとすれば、それは自分の人生について である。」です。これでも抽象的過ぎるので、一人さんの話を一部改定して紹介します。

「おおよそね、お金に興味のある人でお金持ちの人って少ないんだ。
お金持ちになった人って、仕事が好きな人なんだよ。

さらにいうと、世間で出世した人で、他人の人生に興味を持ってたひともいない。

最近、オレも世間様からお金持ちとか成功者と呼ばれるようになったけど、もともと、オレはお金にあまり興味がなかったし、他人の人生にも興味がなかったんだ。

もちろん、歴史小説なんかを読んで、昔の人の生き方に興味はもつよ。でも、それは、本を読んでいる間だけなの。だって、時代も違えば環境も違うよね。それに、オレは、本に出てくる人物じゃないから、真似しようと思っても無理なの。

世間でも、他人の人生をあーだこーだ取り上げているけど、他人の人生ばかり興味をもって追っかけても、自分のためにはならないよ。

それより、今、自分ができることに興味を持って、それを実行したほうがいい結果がでるんだけどなと思うよ。」

(管理人 他人の人生に興味を持つということを取り上げてみます。
他人の人生に興味をもつとは、他人の人生を考えることに時間を使って自分の人生を考えること(←悩むことではない)に時間を使わないということです。

さらにいうと、他人の人生を考えてるって一体何を考えているんでしょう?・・・もう判ったと思いますが(?)
他人の人生について考えるとき、そこから「学んでいる」なら自分の人生に応用できるので少しは役立ちますが、ほとんどが「他人の人生を、いいとか悪いとか、この事件では誰に責任があるかとか判断することに時間を使っているといえます。」

「あなたは、裁判官かなんかになるのが夢で、そのための訓練をやっているんですか?」(笑)ということです。


次です。
自分の人生を考えているはずなんだけど、・・なんか上手くいかないんだよね・・という場合、私と同じような(?)次に述べる観念をさらにもっていることがあります。

それは、「ステップ」と言う考え方です。
たとえば、

「好きなことをやりたいけど、生活があるから・・」
「まず、生活の心配がないようにしてから(=ステップ)、好きなことをやろう。」
です。(この考え方の大本のエネルギーは、ほとんどが不安や怖れです。)

この考え方は結構、根強く根を張っていることがあります。
お金以外でも・・

「一人前になったら、彼女に結婚の申し込みをしよう。」とか
「10キロ ダイエットしたら海に泳ぎに行こうかな」(笑)
なんていうのもあります。

こんなのも「同じ観念」です。この観念が問題なのは、「○○したら、○○になったら」の部分のステップが達成できないと「先に進めなくなる」ことです。

「一人前になったら」・・とか言っていて「一人前になれなかったら」どうするんでしょう? サラリーマンなら会社がなくなることだってあるかもしれません。それはつまり、彼女との結婚をずっと先延ばしにするか、自分に妥協するということになります。

ステップを自分に合う程度に小さいものにしておくなら、当然役には立ちますが、たいていは、夏休みの計画を立てる時、こなせないほどの計画を詰め込んでしまうように(笑)、「ちょっと無理めなステップを、あるいは、やらなければならない沢山のステップを作り出し、結局、それを言い訳にする」というのがよくあるパターンだからです。

ステップは、知的に物事を運ぼうとする人が陥りやすい観念です。
ステップは、努力とか、頑張るとかいうことに価値を置いている人が陥りやすい観念です。



・・さて、社会全体としてどうなのかというと、これは、権力者や政権が人々の反乱や謀反を抑制することに使ってきました。
特に、江戸時代には、時の権力者達は「その辺のことを良く知っていた」ようです。

「恥をかいちゃいけない」という「恥の文化=つまり心理的にリスクを冒させないようにする文化」がつくられていったのもこの時代です。

現代日本では、高コスト社会をつくりあげてしまったのも、ある意味「リスクを犯させない仕組み」といえます。例えば、家を買う場合でも、35年ローンなんていうのがあたり前です。まさしく「生活のためにリスクを冒させない構造」といえます。

このような観念をとっておくか、変えるかです。





  1. 2005/07/13(水) 13:05:55|
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「正しい」見方に振り回されない

前回は経済的な話で「事実を知っておこう」「覚悟はしておこう」ということでしたが、そういったことに対し負担にならない程度の「準備をしておくこと」は必要ですが「心配や不安の気持ちを持つとしたらかえってマイナス」となります。


今日はそういう話です。
(引用 一部改変)クリエイティングマネー  サネヤロウマン

・・・一般大衆(集団意識)は個人の考えに影響する可能性のある強力な思考形態を生み出します。

たとえば、人々の中には経済について怖れているひとがいます。彼らは不景気や景気後退がやってくることを考えます。

もしあなたがニュースなどを聞いて将来の経済について心配しているとすれば、無意識に彼らの考えや怖れに同調し、それを自分のものであるかのように反応します。 

どんな時代であっても、大変な経済の時代に住んでいると感じる人もいれば、社会の経済状況とは関係なく今までで最高の時だとかんじる人もいるのです。

あなたの課題は経済についての自分の考えを肯定的に保ち、大勢の人々が考えたり言ったりすることに影響されないことです。

あなたには経済的不況の時にも豊かに暮らすのに必要な導きがたえず送られてきています。もし、人々が仕事や多くのお金を失うことがあるとすれば、それらはただ彼らの高い幸福のためにならないからです。そういう出来事によって、彼らの人生が何らかの形でよりよく変わる手助けをします。

たとえば、仕事をなくしたことを「失敗」ととらえるのではなく、「自分がやりたいことをするチャンス」ととらえたことで、以前の職の何倍もの報酬を手にすることになった人もいるのです。


(管理人)
正しいからといって「その物事や見方」を受け入れる必要がありません。(受け入れたいもの、賛成できるものは受け入れてください。)

正しさとは前提や条件、考え方、場合によっては「場所」によっていくらでも変わるものだからです。

たとえば、 消費税があがる⇒生活が苦しくなる という見方があります。あなたが、この見方を受け入れたいならそうしてもいいですが、受け入れたくないなら受け入れないほうがいいということなんです。つまり、普通は「吟味もなく」受け入れてしまいます。

経済の専門家がいうなら「正しい」ことなんでしょうが、「あなたにとっては必ずしも正しいことではない」といえます。

収入が増えたら影響は少ないかもしれません。家賃が何割も安い物件を見つけて引っ越すことがあるかもしれません。日本国内でも生活費が驚くほどかからない場所もあります。

教育費だって家族で話し合って減らせるかもしれません。調べてみれば「安く質の高い塾」だってあるだろうし、今は情報社会です。しっかり自覚さえあれば、そういったものに頼らずに実力をつけることだってできます。必要なのは子供自身の自覚です。(家の経済状況が問題なら、そのことを話すことで、かえって自覚が生まれます。)

(これを読んで、「だけど・・現実は、・・」と否定したい気持ちになるとしたら、それは、一般大衆の考え方を受け入れているといえます。)

最近、テレビで、いわゆる「お金持ち」(セレブとか)の番組をみかけます。うらやましいと思いながら見ている人も多いでしょうが、受け答えなどから「どんな考え方をもっているか」を垣間見ることができます。

簡単に言うと、少なくとも「一般大衆の考え方」ではありません。一般大衆なら「消費税があがるから節約しよう」ということでしょうが、彼女達は「自分の価値観にあわないものは節約しよう」です。

それ以上にいつも感じるのは「圧倒的に天真爛漫(=心配とか不安が少ない心の状態)」であることです。

(普通は、お金持ちになったから天真爛漫になれるのだろう・・と考えますが、天真爛漫だからこそ お金持ちの状態になったといえるのです。特に、日本人は、努力してお金持ちになったというパターンが好きなので、番組もそのように作られ、視聴者もそのように見てしまいますが、よくよくみると、自分の好きなことをただやってきただけという人も多く見られます。)

「私も天真爛漫よ。」(笑)という人もいるとおもいますが、そうだとすれば、とても素晴らしいことです。ただ、普通の人は(私も含めて)圧倒的に「行動力が不足」しているといえます。

失敗を怖れるから・・
変化を怖れるから・・
どうすればいちばんいいかを推し量って考えようとするから・・

です。

どうすればいちばんいいだろうかを考えること自体は悪いことではありません。ただ、ここでとりあげたのは、時間がかかる、また行動力の不足につながりやすい思考パターンだからです。

会社ならば「行動力があり決断ができる人」が上に立ち、「じっくり考えていろいろプランを出せる人」や「実務に強い人」が下につけば、役割分担ができていてバランスが取れるといえます。

  1. 2005/07/02(土) 12:27:35|
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どっちが正しいか?

原則や考え方を「知っている人」でも、ある種の「思考の壁」と呼ばれるものがあります。

原則を理解していても、どうしても「なんらかの理由をつけて例外をつくってしまう」のです。よくあることです。

原則を応用できる範囲が広がったとき、視野が広がったように感じます。では、今日の日記です。

「楽しいと思えるほうを選びなさい」というのは新しい時代の原則を簡単な言葉で言い表したものです。

この考え方は聞いたことはあっても、イザというときに、楽しいほうではなく、正しいとおもえるほうとか、有利におもえるほうを選択してしまうことがあります。

どっちが正しいか?あるいは、どっちが有利であるか?というのを判断するのは実はとても難しいんです。(どっちが・・という問いかけをするときには、たいていどちらにも利点も欠点もあるものです。) ついでにいうと、考えていたり議論しているうちに時間が過ぎてしまって、何もできないうちに状況がさらに悪化してしまったり、チャンスを逃してしまった ということになります。

そこで楽しいと思えるほうを選ぶという考え方です。
まず「突拍子もない(?)」ことをここでいってみます。

今、たとえば、国会で郵政民営化の議論がなされています。
そして、賛成派と反対派がいて、どちらがいいのか?つまり、どちらが正しいか?というのを論理で議論している様子をTVで目にすることもあります。

そこで、突拍子もない(?)提案です。
郵政民営化をする・しない・・楽しいと思えるほうを選んだほうがうまくいく 

ということになります。一般に、民営化は経営の自由が増えることになるので「楽しい試み」ということができると思います。

この話(=民営化するほうが楽しそうだから賛成 という考え方)、突拍子もないと感じた人は、政治家や官僚(笑)か、雇われサラリーマンの人でしょう。

「そんなんで簡単に決めていいの?うまくいくの?」・・そんなんで簡単に決めていいから「突拍子もない(?)」提案なんです。

一部の会社経営者は、この提案に全く同意見だと思います。
会社の大きな方針を決めるとき、楽しさを選べる人、選んでいる人は『原則を知っている経営者』です。(経営者の考え方は「普通の人とちょっと違ったところがある」ので本などを読んでみることをオススメします。)

(どうすれば楽しくなるかという段階の思考が一つ落とし込んだレベルでの話です。たとえば、上司の命令をただ実行するだけ・・なら楽しくないのはすぐわかると思います。 やはり、自分の相違工夫ができる余地があり、信頼されて仕事するほうが楽しいのはいうまでもありません。)

斉藤一人さんは、この分野のキャプテン(笑)みたいな人ですが、やはり面白いことをいっています。

・・資本主義と共産主義の戦いで、歴史上、多くの人が命をおとしてきたけど、「どっちが正しいか?」ではなくて、「どっちが楽しいか?」を争っていたら、誰も死ななくて済んだはずだよ。
ケンカになってしまうのは、どっちが正しいかを主張しあったからなんだ。」

・・「先日、ある人から、こんな相談を受けた。
「兄弟の仲が悪いので会うとイライラしてしまいます。どうしたらいいですか?」・・(管理人・・若貴か?笑)
これも、どっちが楽しいのかを考えれば、簡単に解決できるんだよ。そうすると、会わないほうがいいということになる。
兄弟だから会わなくてならない、とか仲良くしなくてはならないというのは「どっちが正しいか?」という考え方からくるものなんだ。」

(管理人)・・マスコミ等のニュースの取り上げ方、(さらに最近増えた法律系のバラエティ番組)は、どっちが正しいか・・という従来の見方を表すものです。どっちが楽しいか・・で物事を進めた場合、どっちが正しいかで選んだ場合よりも、ほとんどの場合、いい結果をもたらしてくれる・・というのが新しい考え方です。

というか、風水みたいなものよりも遥かに強力な「知恵」といっていいものです。 
  1. 2005/06/20(月) 14:06:54|
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答えはあなたが知っている

発想を考える際に、いわゆる「発明家」といわれる人たちの考え方はとても役に立つことがあります。そして、その発想の仕方は発明だけに限ったものではなく、他のものにも応用することができます。

今日とりあげるのはコレです。
答えは他の人(たとえば専門家)が知っているという幻想

何か問題が生じたとき、どうしたら良いかを本や、誰か他人にアドバイスを求めたりすることがあるかもしれません。

あるいは、特に求めたわけではないけれど、他人が、もっともらしいアドバイスをしてくれることがあるかもしれません。

しかし、本当の答えを知っているのは自分自身である というのが基本になります。自分よりも他の人がより知っているというのは幻想です。

こういうと、他人のアドバイスなど聞かなくていいのか?とおもうかもしれませんが、そうではありません。

自分の考えに基づき行動すること自体は別に悪いことではありません。いいたいのは、アドバイスを聞くにしても、それを自分がどう感じるかが重要となるということです。あるいは、アドバイスのどの部分が良さそうと感じたか、ピンときたか・・という見方が重要となります。

ここで、アドバイスをする側が、悪意ではないけれど、一つのパターンをもっていることがあることを指摘しておきます。自分が苦労してきたから、相手にはその苦労してほしくない・・というパターンがあります。あるいは、自分が成功してきたパターンを基準に、ほかはダメと判断することもあります。

たとえば、結婚相手を判断するとき、進路について判断するときなど、問題が生じることもあります。

人生の目的が安定ならば、苦労がすくないだろうと思えるアドバイスは的を得ているといえるかもしれません。・・しかし、アドバイスを受ける側が同じ観念を持っているとはかぎりません。

問題が起こるとすれば、この例なら、アドバイスをするほうが、成功とか安定とかを基準にしているのに対し、受ける側は、成功するしないとか、苦労するしないではなく、「経験してみたい、やってみたい」という場合があります。(意識していなくても『知っている』人は、アドバイスを求めていながら、実はいろいろな意見を聞いて、自分の決心が揺らぐかどうかを試す人もいます。)

少なくとも、人生の目的は経験すること、あるいは経験から学ぶことだという見方ができれば、物事の判断は全く異なるものになります。

そして、歴史の偉人達や悟りに近い人たちからいわせてもらえば、人生はあきらかに経験するためにある、あるいは経験から学ぶためにあるということができます。(人生全体をみるには、数十年の自分の人生ではこころもとないので、やはり過去の人たちの人生とその考え方を、改めて全体として見ることが必要だと個人的には思っています。)

経験から学ぶという考え方ができるなら、経験と結果のバランスを(ある程度)とっていくこともできるでしょう。つまり、もっともダメージが少ない方法での学び方を探すということもできます。(何度がいっていますが、小さい経験で学ぶことができれば、わざわざ大きな失敗をして学ぶ必要もありません。)

親がするアドバイスに、経済的な心配からくるものがあります。
たとえば、歌手になるといった成功者が少ない分野です。この場合、反対する親自身が、イザと言う場合に経済的に援助できる状況にもかかわらず言うことが多いです。イザという場合に援助できないから反対している例は少なく、イザという場合に助けることができるのに反対する場合がみられるのです。

失敗した人に「だから、私の言ったとうりでしょう。」みたいな言葉を言う人がいますが、考え方や判断がすぐれているとか正しいということには全然なりません。ただ単に観念が違うだけなんです。そして、どちらかというと逆に、「貧しい観念」とさえいえるかもしれないのです。

「失敗したら、飯と寝床の心配はしなくていいから、好きなことを精一杯やってみろ。」・・このように「成功するかしないか、あるいは、成功しそうかどうか」ではなく、「経験することこそ糧になる」(=後悔をしない生き方)と考えられる人は少ない(?)といえます。

さて、発明の話に行きます。
「新しい発明を教えてください。」
「どう発明したらいいんですか?」

こんな発明家はいません。あたりまえですが、他人に教えてもらうのではなく、自分が発明するから「発明」なんです。ところが、その発明が生まれるキッカケは実は他の人が与えてくれることが結構あるのです。

家族や、他の人のちょっとした行動や発言がヒントになるんです。・・これこそ「ピンと来た!」です。ピンとキタ!となぜわかったんでしょう?(笑)・・・あえていうと、実は答えの種のようなものが自分のなかにあって、それとめぐり合ったときにピンときたのです。種のようなものが自分の中にあることを「知っている状態」とここでは呼んでいます。

同じことが、人生の問題にもいえるというのが今日の日記です。
さらに、発明家から学べることは「種のようなもの」(例;幸せの種)は、もともとあるともいえますが、自分の好みで、つまり品種改良(?)して改めて植えていくことができるということです。



以上のようなことから、すぐれたアドバイスとは、様々な考え方や知識を提示して、相手に選ばせるというものです。改めていいますが、答えを一番知っているのは、アドバイスをするほうではなく、アドバイスを求める側だからです。


ただし、アドバイスを受ける側が、何でも相手に頼りきっている状況のときは、時間がかかることがあります。「自分」がはっきりしている場合、実はアドバイスをするほうもやりやすいし、答えもすぐでるんですが、そうでない場合は、何をやりたいのか、どう変えていきたいのか等をはっきりさせる時間が必要だからです。

また、実際にいろいろやるなかで徐所にわかることも多いので時間がかかるのです。

(注 時間がかかることそのものも否定的だとは限りません。目的達成まで時間がかかるとすれば、それだけ充実した貴重な時間を長く経験できることも意味するからです。)

最後に・・経験から学ぶにせよ・・ある程度「結果」を意識したい場合のアドバイス(笑)です。

もともとの出所の観念を吟味することが必要です。

不安や恐怖心、焦り、嫉妬、・・こうしたものから選んだ選択は、選んだ本人にとっては、欲しくない結果になる という法則があります。

現実社会の生活によくある(?)単純な「打算」からの選択は、結果も中立(打算の結果の勝ち負けやそれにともなう喜びや失望はあり)といったところでしょう。
  1. 2005/06/18(土) 16:13:48|
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自分を生き始めるとき2

前々回にこのタイトルで日記を書きました

神「人間関係では、他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだいたほうがいいと、まずいっておこう。これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い関係では、相手のことを最優先に考えるものだと聞かされてきたからだ。 」

今日は、同じような内容をサネヤロウマンの本から引用してみます。

(抜粋)
誰か、または何かのせいで、自分が悲しい、怒っていると文句を言うとき、「私はなぜ、その感情を経験したり、そのように反応することをえらんでいるのだろうか?」と自分にたずねてください。

(管理人注・・一時的であるなら、悲しむこと、怒ること、・・等、ある意味で自然なことです。
また、法則によると、これができるようになると、悲しんだり、頭に来るような出来事そのものが、減ってきます。・・人生の課題を一つマスターするごとに、同じような課題はもう経験する必要がなくなる・・と説明する人もいます。)

他人を非難することは、常にあなたの力を奪いとってしまいます。

あなたがたの中には、自分を馬鹿にしたり非難したりする人と一緒にいたり、つきあったりする人がいます。

そういうひとは、相手の感情にあまりにも焦点をあわせすぎて、自分自身の感情がわからなくなってしまうのです。

ある女性は、付き合っている男性に絶えず文句を言われ、非難を受けていました。彼女は、あまりにも彼の感情に焦点をあわせすぎていて、彼に対する自分の態度を自分がどう感じているかを自分に問いかけたことがありませんでした。


彼女は、間違えないように、いつも彼のことを喜ばせようとし、彼の気分と気まぐれを推し量ろうとしました。しかし、何をしても彼の不満と怒りをかうばかりでした。

やがて、彼女は「自分はダメな女性、ダメな人間なんだ」とおもうようになりました。

彼女は、相手の感情を分析するのに多くの時間を費やしたので、自分の感情との触れ合いをなくしていたのです。

自分の価値を認めるというのは、何か結果を残した時のみに限られるわけではありません。

自分の価値を認めるとは、たとえば自分の感情に注意を払うこともそうなのです。

何かをやろうとするとき、理由は必要ありません。他人に自分の価値について、証明する必要などないからです。

私たちは、他人の言うことを無視するようにすすめているわけではありません。ただ、それに対して自分がどう感じるかを大切にしてください といいたいだけなのです。

建設的な批判や意見に耳を傾けることと、自分が望まないときに、他人が自分に要求することを絶えずやろうとすることとは違うのです。

自分を尊敬するとは、自分の気持ち、道、方向を敬うということです。そして、たとえ後でもっといい方法を見つけるとしても、今は、自分に最も良いことをやっていると知っていることです。

それには、自分を非難せずに認め、ありのままの自分をよく思うことが大切なのです。

たとえば、何かを成し遂げるために努力し、懸命に働くことは必ずしも「喜びの道」ではありません。

自分の内なる流れに従うことで自分を認めてください。

休んで遊び、考えるための沈黙の時間を取ってください。自分を育むことをすることが自分を尊敬する道なのです。(抜粋 一部改変 終わり)

今日の最後に、

あなたが自分自身にどのように接するかによって、他人はあなたにどう接するかを決めます。

なぜなら、相手は、あなたの心の中のエネルギーの相互作用を象徴的に見せてくれるからです。

たとえば、他人があなたを蔑んでいるとするならば、あなた自身が自分のほかの部分を無視し、蔑んでいることを自動的にシンボルとして表しているにすぎません。・・あなたが、それに気づいて取り扱えることができるようにするためです。

そして、このメカニズムは、(無意識の場合もおおいですが)病気のメカニズムにもいえることです。
  1. 2005/05/27(金) 15:53:06|
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