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----------------------------アフィリエイトサイト管理人の「発想の転換」日記~「楽しい精神観念論」

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小さな変化から・・・犯罪を防ぐ方法

「新しい見方は刺激的でも画期的でもない。小さな変化から大きな変化が起こるのだ」ということで取り上げた話から再度新たに取り上げてみたいと思った話です。

いわゆる町の治安(犯罪防止)の話です。これについては、いろいろな自治体で工夫をしたり、偶然(?)うまくいったという例が報告されています。たとえば、街灯の本数を増やすとかです。どっかの国では、別の目的で街灯を青色にかえたところ「犯罪発生率が急減した」といいます。

犯罪発生率の低下ということでいうと、今では有名になった「ニューヨーク」です。ニューヨークは従来と全く違った発想から犯罪防止に取り組んだのです。このような考え方から私達が学べることが沢山あるのではないかと思います。(政治家も、少しは学べ!笑)

・・かつて日本は、世界で一番安全な国といわれてきた。ところが警察庁のまとめによれば、犯罪発生件数はここ10年で約2倍の285万件になり、一方検挙率は3分の1の20%に低下、治安が悪化する一方ともいえる。

その日本でも、近年犯罪発生件数が急激に減少しているのが札幌である。中心部の巨大歓楽街、すすきの地区は犯罪の温床といわれていたが、2000年を境に急激に犯罪が減少しているという。実は、すすきの地区を管轄する札幌中央警察署ではニューヨークで用いられた犯罪抑制対策を導入したという。そのニューヨークの犯罪対策とは、一体どのようなものなのだろうか?

1980年代初期、犯罪が増え続けていたニューヨークでは、特に凶悪犯罪の取り締まりに力を入れていた。しかし、警察の捜査は追いつかず、当時の地下鉄でも凶悪犯罪が多発し、利用者数は過去最低にまで落ち込んでいた。

地下鉄を管理するニューヨーク市交通局では、パトロールや警備強化による対策をとっていたが、なかなか治安が回復することはなかった。そこで1984年、交通局のデビッド・ガン局長は地下鉄の治安回復を目指して、ケリング教授のアドバイスのもと、150万ドルの費用を投じて、治安回復プロジェクトを発足させた。

そして教授はなんと巨額の費用を投じてまず「○○○○○」と発表したのである。「○○○○○」という驚くべき提案に対して、交通局の職員たちは、まずは犯罪を取り締まるべきだと猛反発したのだった。

⇒続きはコチラ)特命リサーチ200xより「ニューヨークで行われた驚異の犯罪撲滅プロジェクトを追え!」
  1. 2005/10/06(木) 18:13:16|
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地球が太陽の周りを回っている (自転)

ちょっと前に「太陽が地球の周りを回っている」という小学生が増えているというニュースを目にしました。

・・事実とは違いますが、「経験的には太陽が地球を回っている感じがしないでしょうか?」

ガリレイの時代でも「地球が回っているなら空気(=大気)は動かないはずなので、地球上には常に強風が吹き荒れているはずだよ。どこにその強風があるんだい。」・・このようなことをいってあざけ笑う人たちも多かったといいます。


「太陽が地球の周りを回っている」と言う小学生を笑い飛ばす人もいるでしょうが、現在という時代に生きている普通の人(=ほとんどの人)も「この小学生」と似たりよったりといえます。・・これから書く話も別に私が新しく発見したのでもなんでもありません。すでにわかっている話です。

たとえば、私達は「ある感覚的な?世界に生きています」・・ニュートンのいう「ユークリッド幾何学」が成立するという世界です。

たとえば「平行な直線はどこまで行っても交わることがない」・・というのは「経験上は」真実のように思えます。

残念ながら「現代物理学」では必ずしも正しいとはいえません。・・間違ってはいないが「不十分」であるということです。・・ある条件の時にしか正しいとは言えないということです。

その前提とは「私達が感じている世界観」です。(=太陽が地球の周りを回っていると感覚的に言っている小学生と同じレベルとさえいえるかもしれません。)

・・「空間なるもの」が宇宙に広がっていて、其の中に銀河があり、太陽があり、地球があり、そして、人間がいる。そしてこの宇宙という「均一の空間」の中で「時間」というものがどこでも一定に流れているというものです。

世間の人は(必要性がないので)そのようには感じていませんが、現代物理学では、このような世界観を完全に壊しました。壊したといっても間違いと言う意味ではなく「普遍性がない」という意味です。普遍性がない・・とは「ある条件でしか成立しない」という意味です。(⇒私が言う「この世はある意味、幻想の世界である」とは、特別な条件でしか成立しない世界 という意味もあります。)

・・またこの新しい考え方では、より統一的な見方を提示していることになります。それは、時間や空間というのは物質(=存在)と独立してあるのではなく、物質(=存在)の性質に「時間や空間」というものが含まれている(=時間や空間と物質は無関係ではない)ということです。

・・もちろん、この日記では、もっと進んで「精神や心と外部世界との関係」、つまり「自分の思考や概念と全く無関係に物事が起こることは(表面上はそう見えないかもしれないけれど)ないのだ。」というテーマで書いています。


さて、平行線が交わることの説明として地球(球体)が使われることがあります。赤道上で平行な2つの直線は極(北極や南極)で交わることになります。まったくの平面を考えると平行する2直線は交わることはありませんが、球面なら交わることになります。そして「平面の思考」しかできない人にとっては不思議な現象のように見えます。

で、今私達のいる世界も実感としては感じませんが「空間」に歪があるようなのです。時間の流れも一定ではありません。(私達の感覚からすると・・歪は小さいので・・普通の意味では、無視していいということになります。)

で、最初に戻りますが、このようなことを「現代人なら」もう少し知っておいてもいいのではないかと思うのです。

要らないといえば要らないのですが、それでは「太陽が地球を回っている」と感覚的に考える小学生とさほど変わらないということになります。・・でもまあ要らないかもしれません(笑)。

というのも、人類の歴史を見ると「人類は徐々に進歩していっている」という考え方には疑問符がつくからです。(数百年程度の単位で一定の地域を見ると進歩しているように見えますが、あとでゆり戻しもみられます。)・・1996年にベストセラーになった⇒グラハムハンコック「神々の指紋」上下
と言う本でも、現代文明の前に高度な知識を持つ文明が存在していたのではということを強烈に匂わせていました。(筆者の憶測も多いですが、逆にそこが面白い本です。)⇒グラハムハンコック「神々の世界」上下


興味のある方はオーパーツ本(=その時代の技術を超える出土品の紹介本)も。
⇒オーパーツの謎の迫る「特命リサーチ200x」より
⇒インドの錆びない鉄柱「特命リサーチ200x」より
⇒コスタリカ巨大石球群「特命リサーチ200x」より

⇒「オーパーツ大全~知の冒険シリーズ」 2005年7月12日

(感想抜粋)世界中で出土しているオーパーツ(その時代にそぐわない遺物)を一同に集めて展示する「未解明の謎展」という、ありそうでなかった試みを行った著者が、展覧会を開くまでの経過を綴りつつ、既存の定説にしがみつき身動きの取れなくなっている学者の現状を批判する。

単独で発見されたオーパーツは、従来の学説にそぐわないから偽物と決めつけられ闇に葬り去られるのが常であるが、数百点もの遺物を一度に見せられると、現在の定説の危うさを感じずにはいられないだろう。また、それらに共通の特徴(未解読の文字同士の形が極めて似ている、など)が見られれば、「偽物」と決めつけることの方に無理があることがわかるだろう。それがこの展覧会の目的である。

著者はオーパーツから普通に考えられる理屈を述べているだけで、著者独自の理論などは語られていない。そのため、若干ワクワク感に欠けるきらいもあるが、ここに登場するオーパーツの魅力(初めて目にするものも多かった)がそれを十分補ってくれる。
「探せば世界中にオーパーツはいくらでもある」ということを教えてくれる本書は、従来の学説を再構築する流れのきっかけに充分成り得る画期的な本だと思う。(感想おわり)

このような話(オーパーツではないです。笑)、特に「時間」というものについて今後いろいろと取り上げていきたいと思います。

脱線しますが、英語で言うと(笑)

What is time? です。

「今何時か?」ということではなく、「時間とは何か?」という意味です。

新しい考え方(?)には(人間を含めて)「物質には時間という要素が内在する」というのがあります。・・この内在とは、「物質のなかにいると・・(一直線に流れる)時間を体験する」ということです。

(追加)★特命リサーチ200x・・気になったので(笑)・・オーパーツよりためになる?

⇒「気配の正体を調査せよ」
⇒「なぜ落雷の直撃を受けて助かることができたのか?」
⇒「イルカに人間を癒す力があるのか?」
⇒「ニューヨークで行われた驚異の犯罪撲滅プロジェクトを追え!」



  1. 2005/10/06(木) 14:11:06|
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新しい見方は「画期的」でも「刺激的」でもない

新しい見方で物事を見る・・ということを話していますが、これは決して「画期的」でも「刺激的」でもありません。(しかし強力ではあります。)

だから、「期待してたけどがっかりだよ」という反応があります。・・しかし(私から言わせれば)

がっかりだよ、期待はずれだよ・・という言葉が出てくる源に「ダメな原因」があるということになります。

・・道端に美しい花が咲いている・・ことにあるとき気づき、「こんなに美しい花だったんだ」ということに驚くことがあります。花はあなたが気づく前から、ただそこに美しく咲いていただけです。花が美しくなかったから気づけなかったのでなく、美しかったのにもかかわらず、ただ気づくことがなかっただけです。

「気づき」ということでいうと「現代社会」ほど、意識的に気づくことが必要な時代はありません。・・もちろん、いつも言う「資本主義」の考え方が根本にあります。

たとえば、TVです。TVのタレントは、面白いことや注目を引く言動、何かの過激な告白・・このようなことで視聴率をあげ、そして(経済的な意味で)価値があるとされています。・・しかし、はっきりいって「商売で利益を上げるという目的には適うとしても」、もっと大きな社会の問題を解決するということには、ほとんど役に立たない発想が背後にあります。

だから最近も「0点マスコミ」(笑)と呼ばしてもらっています。

そこには「いくつかの概念」・・つまり、「思い込み」や「(早急に結果を求めるといったような)過剰な期待」というのもあります。

具体的に話していきましょう。

「あなたは男の浮気を許せますか?」こんなのがあります。そこには「男の生理」とかいろいろ原因らしきものがあるでしょうが、もとの発想については触れられることがありません。

そもそも、浮気であれなんであれ、(何の脈略もなく、自分とは関係なく)偶然、そして、勝手にされるものだという認識があります。・・・「浮気される原因がない人は、浮気をされることはなく、それでも浮気されるとしたら、ただ単に浮気されるという出来事を通して自分が学ぶチャンスを与えているだけある」のです。

どっちが悪いのか?・・というよくある「裁きや判断の心」があるときに「学ぶ」ことができなくなります。(たとえ、事実であっても)「悪いのは浮気するほうだ」とすべて相手のせい にした時、あなたは「学ぶ機会を失った」のです。(もちろん、学ぶチャンスは何回もあるようなので、同じことは将来起こることがあります。現象としては、浮気される人は本人が気づくまでとことん浮気されることになります。相手を変えても同じことです。だから、若いうちに異性と付き合う人数が増えている日本で、「男は浮気する動物だ」(笑)という女性が多数わきでてきても不思議ではありません。)

★「期待の海」で溺れるな!

ここからは「がっかりするような話」です。期待というのは、いろいろな形があります。資本主義の中で「利益を上げていかなければならない」というのも期待です。また、「問題を解決しようとする」のも期待です。しかもこの場合は、短期間に目覚しい形で解決してほしいという期待です。

問題を解決しようとすることが悪い・・という意味ではありません。ただ、溺れてはいけないということです。溺れてはいけないとは(回りや他人の反応とは別に)「いろんな意味で余裕を持て!」ということです。

昨日だったか、TVで教師50人が集まって、なんやかんややっているのを見ました。まあ、相変わらず「0点マスコミ」(笑)の取り上げ方がされた番組でした。たとえば、体罰に賛成ですか?・・みたいな、議論にはなるけど、役に立たない質問を出していました。もちろん、「不登校」「学級崩壊」などが伝えられるように、教育現場は想像以上に荒廃(?)しているのは番組を通してわかりました。

「いろいろ言っているようだけど、じゃあ、あんたに解決策はあるのか?」

コレに対しては、皆さんをがっかりさせる発言を言わなければなりません。それはこうだからです。・・頭で考えてすぐわかるような「解決策などというものはない」からです。

何か画期的な解決策というようなものがあって、それをやれば問題が即座に解決するのでは?・・という発想は「過剰な期待」なのです。(注意:安心させるために「(見かけの)解決策」を提示するということはあります。)

「相手をなんとかしなければ」というのは「ある意味、そう思う人の思い上がり」といえます。それは簡単な理屈であり、「なんとかしなければならないのは本人だから」です。そう考えると、少しは、過剰な期待を離れることもでき、「なんとかしなければ」という余計なプレッシャーからも解放されます。

そうすると「何が残るのか」・・それは「自分のペースで、今何ができるのか?何か工夫はできないのか?」という発想です。(自分に何ができるのかを考えそれを実行することが愛であるという人もいます。できることは「ただ抱きしめてやり、そばにいてあげることだけ」ということもあります。)

・・よく見てほしいのですが、これ(愛)には「過剰な期待」がありません。

TVに登場していた先生方も(発言だけを見るなら)、0点マスコミにうまく「乗せられた」という意味で「0点」(笑)です。

因みに、番組の中で、私は「道端に咲く花を見つけることができました。」

・・それは、おそらく「実行した当人たちもそれほど期待してなかったけれど、まずはやってみよう」ということだったのでしょう。(←こういうのが本当は素晴らしいんです。)

「授業開始のチャイムを福山雅治のHELLOという曲に変えたら生徒たちが早く席に着くようになった」とか、「生徒のイスや机の脚にテニスボールをつけることで、音がしなくなり生徒の集中力が高まった」という実例をあげていました。

このような、一見効果がなさそうな小さな変化(←ここがポイント)を起こすことから、つまり、すぐに実行できる小さなことから「ちょっと変えていく」ことで、大きな変化がおこります。(当然ですが、それで問題がすべて解決するということもありません。)
⇒参考)特命リサーチ200xより「ニューヨークで行われた驚異の犯罪撲滅プロジェクトを追え!」

期待の海で溺れて動けない、・・また、あれやこれや考えすぎて過剰に期待した方法をやっと実行し、その結果に失望する・・のではなく、余裕を持って、できる工夫をしていき、効果が出たら喜ぶ・・というほうが「楽であり、楽しくはないでしょうか?」

因みに「病気が治ってほしい」というのも(気持ちはわかりますが)過剰な期待です。直るときには期待しなくても「病気はちゃんと直ってくれます。」

新しい考え方に、(もう経験を通して気づいている人たちもいますが)、「病気と共に生きる」という考え方があります。とくに難病にかかった人で、「直そう、病気と闘おう」というのをやめた人がいます。病気と闘うという心境が、心の余裕、人生の楽しみや美しさ、他人への感謝、笑いやユーモアの気持ちを忘れさせることにつながるからです。

そして、皮肉なことに、不治の病から奇跡的に回復した人のなかで「何が何でも病気と戦って治してやる」と息巻いている人が少なかったという事実があることを以前ここで取り上げました。

「余裕を持って生きる」「結果を早急に求めすぎない」・・こんな感じで行きたいものです。






  1. 2005/09/29(木) 00:08:45|
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その『想い』を大切に・・

今日は「細木数子」さんの特別番組をみて、書いてみます。

とても勉強になりました。特に教育において・・「ゆとり」ではなく「余裕」が必要・・余裕が「やる気」を生む・・という言葉は、本質をついた素晴らしい考え方でした。

「人生を急ぎすぎない。ゆっくりと焦らず生きる。」・・(言葉にしなくても)このような考え方がもてる現代人が少なくなっているといえます。

前「女子高生スペシャル」の時も書きましたが、たとえば、「親に感謝することの大切さ」は、単なる道徳としていっているのではないということをいいました。(今回は、父親が好きという女子高生が増えてました。いい変化です。)

それは、「あなたの観念が受け付けないかもしれない話」ということで話したことでもあります。それは、自分の親や環境は自分で決めて生まれてきているということです。
あなたの観念が受け付けないかもしれない話・・ 細木数子&江原啓之の番組を見て

これは、残念ながら「証明することができません。」(ただし、通常の法則のように、この理解をもとに結果をだしていくことができます。

・・(注 証明という考え方も、自分が(=生きている人間が)理解できるという程度の意味しかありません。・・証明されなけれ存在できないとすれば、すべての根源は「証明」から生まれる(笑)という変なことになります。簡単に言うと、小(=証明)に大(=存在のすべて)を含めることができないということです。・・逆に存在から証明が生まれたと言うこともできます。つまり証明も「世界を理解する一つの方法として人間が考え出した」ということです。 最先端の物理学者は、その程度の意味でしかないことに気づいている人も多いといいます。)

あの世についても同じことで、究極の真実(←あるとしたら)とは別に、

この世が存在するというなら、あの世も幻想でない」ともいえるし、
この世は仮の世界に過ぎない ということを貫徹できるなら、あの世も幻想にすぎない」ということもできます。

もちろん、このようなことを、どうしても受け入れられない人もいます。・・特に、「そうかも知れないね」という反応ではなく、「絶対信じられない」という場合です。ですが、これはこれで意味があるといえます。

あの世が確実にあるんだ・・ということを知ることで充実した人生を送れる人もいれば、あの世がない・・と思うことで、今の一瞬一瞬を大切に生きることができる人もいるからです。

「一瞬一瞬の大切さ」を知ることが主ならば「あの世のことはどっちでもいい」ともいえるのです。(難しくいうと、未来も含め、あらゆる存在がすでに存在しており、どんな形であれ、自分は単に「今」を経験していくだけ・・ともいえるのです。)

ですが、強烈に否定したい気持ちがあるならば、それは、(私から見れば)ある意味、それこそ何か大きなものの目的があって、その人の人生が進んでいる・・ということを単に表しているだけということになります。・・だからこそ「その想いを大切に」ということです。

細木さんの番組で教師たち(50人)が出演していました。・・細木さんはよく「根本から」ということを述べます。

この日記で「価値観をもった国づくり」という言い方で「健康大国」ということを述べました。これは、他にもあります。たとえば、「環境大国」です。・・日本ほどそれをやるのに適任の国がないともいえます。
賛同する国たちと新たな関係が生まれていくことでしょう。

他には「精神大国をめざす」というのもあります。日本だけでなく、アメリカや中国をみていて感じていることがあるんですが、たとえば、中国には孔子や老子を始めとして「素晴らしい精神文化」を誇る時代がありました。そして後の世にも精神遺産を引き継いでいった時代がありました。しかし、(特に現代になってから)、そういった過去の精神遺産から教育制度を恣意的に使うことで、国民が学ぶ機会を奪ってきました。

単純な話でも、今先進国では「資本主義」を採用しています。もちろんプラス面もありますが、これが本当に素晴らしいシステムなんでしょうか?・・つまり、もっと下のレベルで使うべきものなんです。資本主義で、「原油の価格が高騰したから国が集まって話し合う」って、そろそろ(重要なことから)資本主義やめたらといいたいところです。・・私たちは、そんな「あぶないシステム」(笑)の上に経済繁栄を誇っているわけです。

そういったのとは別に、もたらす結果が地球をダメにするレベルまで来てしまっています。・・

因みに、私が知っていつも愕然とするのは、次のようなことです。

アマゾンで熱帯雨林が毎年「日本の四国と匹敵する面積だけ減っている」・・家畜を飼うためです。・・それは、消費大国「日本」へ輸出するためにです。

、東南アジアでマングローブの森(下は海面)が物凄い勢いで破壊されている・・エビを養殖するためです。エビ養殖では、養殖の条件があるそうで、次々と新しい「養殖地域」を確保しなければなりません。

エビの最大の輸出国は、日本です。・・日本国民が意識してないところで、実は地球温暖化に直接つながるような原因を作り、事態を悪化させているわけです。

実は、日本を「精神大国」にするために「すぐできる方法」があります。それは、教科で言うと「倫社」・・つまり「哲学」を受験の必須科目にすることです。(たとえば、センター試験に必須項目として取り入れることならすぐに実行できます。)

もちろん、ただの「受験科目」としてしか考えられない人もいますが、多くを学ぶ生徒が増えることでしょう。

本当は、もっと広い意味、硬く言うと「人生学」見たいな感じで、過去の思想家のほかに、偉人、たとえば、織田信長とか、豊臣秀吉、とかの人生を学ぶなんてことができます。

これは、小学生からも可能です。というのも、自主的ではあったんですが「私も、小学生のころ」、いわゆる「伝記」といわれるものを相当読んだことがあるからです。

ところで、人生に対する見方を、人はどこで学ぶでしょうか?・・たいていは、家族や周りの生き方であり、尊敬するアーチストやTVにでる人たちです。しかも、たいていは「まだ生きている人」(笑)です。

一方、過去の人は「いい意味でも、悪い意味でも、人生を全うした人達」であり、そうした人の人生を一生という大きな視点から学ぶことができます。・・ついでにいうと「このような事を、社会人になってから、自分の意思で学んでいる人もいます。・・もちろん暗記のためではなく、考え方を学ぶためであり、人生のさまざまな場面でどんな決断をして結果どうなっていったのか・・ということを学ぶためです。」

・・これらは、もっと早い時期から「学んでもいいではないでしょうか?」というのも、「考え方というのは、当然なんですが、利用範囲が驚くほど広いんです。日常の生活から高度なものまで何に対しても使うことができます。」

もちろん、個人個人が自主的にすることでもありますが、「精神大国」として、国を挙げて「奨励」していくとしたらその影響は計り知れないでしょう。・・(当然ながら、その過程では、生徒だけではなく教師も学べることになります。ついでに親も・・笑)

さまざまな考え方・・違った見方・・を学ぶとは素晴らしいことです。(同時にこれは、権力側の人達にとっては脅威になります。)・・選挙(や民主主義)は国民の声といますが、国民にいろいろな見方を学ばせたうえで「判断してください」ではありません。

・・歴史的には、たとえばアメリカは「マスコミ」が登場してから、明らかに「イメージ戦略」(=世論操作)を国の中枢が画策しています。
(日本では、現状では自民党が先陣を切っています。)

「新しい見方で考えること」は(普通の人が)「思っている以上に強力です。」・・そして、これは「意識の変革」です。・・

いいのか悪いのか「意識の変革なんてやだよ」という人がいます。「しょうがないなあ」(笑)ということもありますが、残念ながら「多くの領域で意識の変革が必要とされています」。

「痛い目にあってから意識をかえるか、痛い目に合う前に変えるかです。」・・現状は、痛い目にあうのはわかるけど「そんなに痛くないんじゃないんじゃないの?」「どうも実感わかないし自分には関係ないんじゃないの?」という感じです。地球温暖化なんていう「はっきり指摘されていること」でさえそうです。

実際は「何か問題が生じたとき、それもすぐに解決策が浮かばないような問題が生じたとき、これらすべてが痛い目にあっているという症状です。」・・犯罪などの増加もそうですし、自然災害もそうです。






  1. 2005/09/28(水) 00:40:33|
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電車男 最終回

このブログは、まあ「目的」というのがあって、それはなにかというと「考え方を変える」「新しい見方で物事を見る」です。そのなかには「既存のイメージを壊す」というのもあります。

今日は「電車男」の話。最終回をみました。世間(の若者の間?)では本や映画など、人気なんでしょうが、あまり「興味のない話題」でしたが、伊東美咲さんが出演するので「初回」を見てみました。

間違っていたら「すいません」ですが、これって(実話をもとにした)「コメディ」だよね?(笑)・・とにかく面白かったので最終話まで見ていました。

最初の頃は笑いながらも、主人公の電車男にイライラしながら見ていました。・・(脚本にたいしてかもしれません。)・・回りの奴に対しても、少しは怒れよ(笑)とか、ガツンといってやれ・・みたいな感じで(笑)

私は「誠実な男」を目指していますが(笑)、「誠実な男・お人よし男」というといつも今回のような描かれ方しかされないのかということに腹を立てています(笑)。・・結果「誠実な男」は「かっこよくない。魅力がない」というイメージがついてしまっています。・・回りを極度に気にする、人の機嫌・顔色を伺い、ことあるごとに「すみません」をくりかえす・・どもる・・・。こんなイメージは「誠実さ」とは何の関係もありません。

確かに、世間の人はわかりやすい人・・つまり持っているイメージを絵に描いた人のほうが安心するのかもしれませんが、今回のこのコメディドラマ、コメディにするなら電車男役の伊藤敦 とエルメスの弟役の速水もこみち の俳優を取り替えてたら面白かったんではないかとおもいます。

でも、まあ、そうすると「固定観念を持っている人たち」は、感情移入できない・・ということになったかもしれません。最終回も、美男美女が結ばれたという何のインパクトもないような話になったでしょう。(笑)

原作とか映画とか読んでないんですが、「オタク」(←コレに対してもイメージがある)がこのドラマの主人公電車男なような奴なら「悪くはないな」と思えました。オタクではなく、気は弱いけど誠実さだけは貫こうとする奴に思えたからです。

ドラマを見ていての(私の)ポイントが2つありました。一つは「掲示板に彼女のことを細かく書いていたことを彼女が知ることになるのか」でした。・・・これは、ドラマのストーリーに出てきていましたね。

もう一つは、「オタクの電車男がエルメスをどう思っているのか」です。描かれていたのでは?・・と思う人もいると思いますが「電車男のことであってオタクについては全然描かれていない感じがしました。

オタクの気持ちはわかりませんが、「彼女=エルメス」と自分の興味のある「アイドル?=フィギュアなどの理想の女性」の区別を心の中でどのようにつけているかです。・・すくなくとも、ドラマを見る限り「電車男」が「オタク」には見えませんでした。(間違っているのは、オタクについて持っている私のほうのイメージかもしれません。)

要は、電車男が、「一人の男性としてエルメスを愛するのか」、「オタクとして彼女を愛するのか?」ということです。あるいは「両方なのか?」ということです。ドラマでは、一人の男性として彼女を愛する・・といった描かれ方でした。・・だから逆に「電車男がオタクっぽい感じがしなかった」といえます。

伊藤美咲さんは、10月から月9のドラマ「危険な美女」にキャバクラ嬢役ででるということです。まあ見ることになるでしょう。
危険な美女

⇒2006年カレンダー「伊東美咲」

管理人の好みで(笑)、こちらもオススメ
⇒2006年カレンダー「菊川怜」
⇒2006年カレンダー「田丸麻紀」



  1. 2005/09/23(金) 20:09:54|
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ドラゴン桜 フリフリグッパー

「ドラゴン桜」最終回の視聴率が20%を超えたようです。
最終回の「毒サンドイッチ事件」(笑)などはカナリのツッコミ所がありますが、(たとえば、サンドイッチの空容器を捨てないでカバンにいれてたり・・笑)、総じてセリフなどが素晴らしかったと思います。→ドラゴン桜 脚本家「奏建日子さん」のブログ

さて、脳の活性化・記憶力増強のために「歩くことが良い」といわれています。思想家の中にも「散歩が日課」という人もいました。

ドラゴン桜の中でも、生徒達が校庭を歩きながら「暗記」をしていましたし、英語の授業でも、体操しながら「ほにゃらら~ING」(笑)なんていうのをやっていました。・・あの英語の授業は受けてみたい(笑)

もちろん、笑えるネタとしてだけでいっているのではありません。今日は、そういう話です。

新しい知識は、スポーツ界で応用されてきましたが、ココに来て一般社会にも(一部に)浸透し始めています。高齢化社会に伴い、地方の町単位で住民の健康増進に役立つような試みをしはじめています。・・

NHKの「ご近所の底力」という番組をたまに見るんですが、今月見た番組から取り上げてみたい話があります。

★フリフリグッパー・・

「フリフリグッパー」→動画は意欲や感情、そして認知機能にも深く関わる「前頭前野」を効果的に活性化する楽しい軽運動として筑波大学運動生化学研究室の征矢英昭先生により開発されたもの。マスコミなどでも大きく取り上げられ、全国でも評判となっている。NHKテレビの「難問解決!ご近所の底力」の模様をみると、体力向上や抗ストレス作用、記憶力改善のほか、ダイエット効果・足腰の痛みの改善も報告されている。

・・番組では「記憶の中枢である海馬を活性化する効果もある」と放送されていて、体操自体も、友達や家族、彼氏彼女から見られてもそんなに変じゃないので(笑)おすすめしたい方法です。なお、体操の時間についてですが、最近の研究結果では1日わずか3分程度でも効果があるということで、勉強を始める前などにも実践するのもいいのではないかと思います。また、たとえば、システム英単語などのCDを聞きながらやると一石二鳥でしょう。(ただし、必死に長時間やるのは、脳ストレスがかかり逆効果だということです。)

→さらば生活習慣病「難問解決!ご近所の底力」

・・学習の話題とはちょっと離れますが、中にでていた見附市では、健康以外の効果が現れていました。この日記の政治経済の講で話したことが「町単位ですが実現化されていました。」

それは、何かというと「医療費の抑制効果」です。病院にかかる人が少なくなり、また特に、介護保険を申請する人が前年より減った・・というのは驚くべき話です。・・足りない医療費をどこから持ってくるか?という発想しかできない(?)議員の皆さんにも勉強してほしい・・というより勉強はしてるでしょうから「違う見方を学んでほしい」ところです。
  1. 2005/09/21(水) 03:14:31|
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女王の教室

「女王の教室」というドラマの最終回の視聴率が25%を超えたそうです。私も見ました。「女王の教室」公式HP


小学校6年担任の鬼教師。生徒に対してひどいことをしているように思えたが、実は、自らが生徒の壁となって、生徒に試練を与えていただけだった。実は生徒に対する愛情にあふれる先生だった。

・・私はドラマの前半の回は見てなかったんですが、「放送をやめろ!という抗議が沢山寄せられた」というのを知って(まんまと乗せられて・・笑)後半はずっと見ていました。

・・とても「コメント」が書きにくいドラマです。私自身もいわゆる「今の教育委員会ならすぐやめさせられるような『ひどい』担任に小学5~6年のとき受け持たれました。立たされたり、耳がキーンとなるほど殴られたり、毎日、日記を書かされて、時に反省文を日記にかかされたり、内容次第で、また、朝から立たされたり(笑)してました。反省が認められると「殴られて、許してもらえました。」(注意;こういう話では、記憶が鮮明なことだけを話すのが常であり、毎日毎日が・・こうだったというわけではありません。)

・・今の生徒なら親などに話して表沙汰になると思いますが、当時、私の田舎では、まだまだ「先生=聖職者」という父兄の見方があり、悪いのは先生の言うことをきかない子供のほうだから、少しカツを入れられるぐらいのほうがちょうどいい・・みたいな感じでした。だから、親に話せば先生に知られて「また殴られる」といった「イジメの構造」に見られるような恐怖心がありました。

今考えると「このころの酷いことが、自分の糧になっていた部分があったことがわかりますが」その頃は、基本的にはその先生に「消えてほしい」(笑)と思っていました。

その先生は、実は2年後(私が中学2年のとき)・・消えてしまいました。(笑い事じゃないですが・・笑・・酒の飲みすぎで肝硬変で亡くなられました。)

さて、私がみた「放送分」だけの感想を書いてみます。担任の先生のアノ雰囲気(笑)は個性だとしても、

・・子供たち(小学校6年)が素晴らしすぎている

テレビドラマだから「お約束」なんでしょうが、「いわゆる背景というか、真矢先生が実は内心では愛情あふれる先生だということ」が見ている視聴者にはハッキリわかるようになっている


ということもあり、私自身は最終回の感動が、「無理やり感動シーンを作ったので感動してください・・という感じに思えました」・・ドラマの登場人物に対しこんなことを言うのも変ですが、事実「真矢先生がまだ本当はどんな先生かわからなかった時点で(=前半の回の放送時)、ひどい先生という勝手なイメージを持った視聴者からのドラマへの猛抗議があった」ということは注目に値します。

子供たちが素晴らしすぎるというのは、「一度持ったイメージを修正するのには時間がかかる」 ということです。酷いことをするのは、イジメとかじゃなくて本当は生徒たちが強くなれるように、また、もっと考えるようになるための愛情表現だった・・ということですが、生徒達が、最初に持った「怖い先生・酷い先生」というイメージを、もしかしたら違うのではないかと考え、それを見抜いていって「先生に対するイメージを変えていった」ところが素晴らしすぎるのです。(まあ、素晴らしいことは・・いいことです。)

実際は、そこまでの心境になかなかなれるものではありません。だから、ある意味「スーパー小学6年生達」なんです。普通は、たとえば、親がいうことを子供が聞かない、納得できないというのが当たり前で、反抗期なんていうのもあります。(たいていの親は愛情から?いろいろ言ったりしていることは確かでしょう。)

子供達は、すぐに悟って「親の言うことに耳を傾けるでしょうか?」


世の中の普通の大人だって「相手に対し一度持ったイメージを変えるのは、よっぽど意識的にならないと、あるいは、それだけの器がないと難しいといえます」

もちろん、今の小学生(5~6年)は、昔と違って「物事をよく理解している」のかもしれませんが、実際聞こえてくるのは(極端な例だから聞こえてくるのかもしれませんが)「学級崩壊・イジメ・学力低下・モラルの欠如・・あるいは、大人が持っている変な先入観をそのまま持っている」といったことです。

因みに「愛情をもっていれば、ひどいことも、OKなんだ」というのは「役に立たない古い考え方」です。

ここで、話がカナリ!!飛躍しますが(笑)、たとえば、広島・長崎の原爆投下について次のようにいう人がいます。あなたは「この考え方を支持するでしょうか?」

・・アメリカが原爆を落としたからこそ戦争が終わったんだ。日本の天皇、軍部は、原爆でも落とさなかったら戦争をやめようとは思わなかっただろう。そうすれば、原爆死傷者数以上の犠牲者がでていたかもしれないよ。

・・原爆を・・アメリカ合衆国の愛情だと受け止められる人は、よっぽど「器の大きな人」だといえます。(あるいは、別の目的で正当化する人たちです。)  私も器が小さいようです。原爆投下を機に、大国アメリカが、自ら先頭にたって、核廃絶を唱え、実践してきていたのなら「このような考え方を受け入れるかもしれませんが・・」

さて、私たちも「女王の教室」の小学6年生たちのように、素晴らしくなれるでしょうか?

・・悲劇や悲惨な出来事というのも全て、私たち自身が学び成長するチャンスとして偶然ではなく必然的に起こっている・・このような考え方を受け入れられるでしょうか?

宇宙は一見厳しいとも思える現実をつきつけてくるけれど、実は愛情を持ったやさしい教師なのだ。・・こうした考え方を受け入れることができるでしょうか?(現実の世界は、ドラマのように意識しなくてもはっきりとわかるようにはなっていません。)

(注:苦しみを通して学ぶというのも、一つの学び方と見ることができます。他の学び方も沢山あるのに、否定的に体験するという選択を選んでいるということができます。)

・・女王の教室 の話としていうなら、

ただ単に、同じことを学ぶのに、あんなふうにやらなくても、「苦労も少なく、もっと明るく学ぶこともできるのにね。」というコメントになります。

もちろん、このドラマを見て、単に、「真矢先生が実は優しい先生でよかったね」だけでなく、それ以上のことを学べる小学生&中学生&・・がいるかもしれないことを考えると「素晴らしいドラマ」だと思います。


  1. 2005/09/20(火) 19:47:05|
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学習体力をつける2

・・今日はNHKスペシャル「脳と心」という番組の内容からはじめます。

ある医師が、一人の中年の方に、いろいろな写真を見せながら「写真のことついていろいろ質問していました。」

その中年の人は、写真に見えているものに関しての質問には「答えることができていました。」・・で、医師が、その人にある人物の写真を見せました。・・写真の人物は、何歳ぐらいなのか、髪の毛はあるのかないのか、めがねをかけているのかいないのか・・などです。そして最後に次のような質問をしました。

(医師)「あなたはこの人を知っていますか?」

(中年のかた)「ん・・・見たことはないような気がします。」

実は、その写真は「質問されていた本人の写真」でした。
この人は脳梗塞により脳のある部分を損傷したため、見ることはできても「全体をとらえてイメージをつくることができない状態」でした。

・・何をいいたいのかというと、「見る」ということだけでも、私たちが思っているほど単純ではないということです。色、形、動き、輪郭、左右の目から入る情報の補正など、20以上の情報が集まって(←統合する役割を持つ部分もある)、「一つのイメージを形成して見ているものをリアルに認識できている」ということです。

見るということ以外にも、たとえば、暗記といわれるものも、いくつかの別々な脳の経路があって、その情報を「ひとつにまとめるプロセスがある」ということなんです。

ということで、今日は「学習体力をつける脳の訓練法2」をお話します。今日述べることは、経験上からいうと「長い時間をとる必要はまったくありません。」(長時間やっても効果はさほど変わらないという意味です。ただし、小中学生の場合は、この訓練そのものが、学習法の大部分であるとはいえます。)

それは「覚えたことをすぐに再生してみる」ということです。すぐに再生できる程度まで訓練するといったほうがいいかもしれません。

英語なら「英文を読んだら、テキストを伏せて、まず口頭で再生してみます。口頭で再生できたら文字として書いてみます。」

数学なら「解こうとしてもわからなかった問題の解説をみて理解した後、もう一度、その場で何も見ないで答えをノートに再生してみます。

ポイントは、何回か練習しないとできないような量や難しさでやるということです。英文ならやや長めの文章、数学では、そのときの自分にはやや難しめの問題でやるということです。


なお、今日の話は、たとえば「小テストなどでいつも満点を取る人には必要ないかもしれません。」・・もうすでに、そのような回路が開発されているからです。

・・また、このようなことを「学習の工程の中に入れている」場合もあります。ラジオ英会話などのスキットを暗唱するという学習は、これと同じ訓練を毎日しているということになります。

「訓練」という視点をもって「毎日、短時間」おこなってください。また、「学習のメリハリをつける」ということに利用するといいでしょう。たとえば、英語を(意味を意識しながら)音読を繰り返す一方で、その中の一部を「ピクアップして再生練習してみる」といった具合にです。
  1. 2005/09/20(火) 02:30:41|
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ドラゴン桜 特別編 10月14日(金)放送

・・試験というのは対話。相手との対話であり、自己との対話である。

こういう「ちょっと深い精神論的な言葉」を馬鹿にせず「唱えていた生徒たち」。いい生徒達だなぁ(笑)。試験を受ける際の心構えだそうです。あと、まわりは「カボチャ」(笑)とか、まわりは「メロン」(笑)というのもありました。

さて、ドラゴン桜 特別編 東大受験丸秘テクニック が10月14日(金)22時から放映があるようです。

まず、ドラマについて少々書いてみます。★ドラゴン桜 キャスト

ドラゴン桜の中の桜木先生が魅力的であるのは、その考え方にあります。ただ、このドラマの最初にひっかかった部分がありました。「東大合格を生徒の目標にさせたこと」です。「東大合格が凄い」という実感がどうも元々(笑)ないんです。感覚的にはハーバード大学合格みたいな感じで、よその国のこと(笑)のような感じなんです。これは、私の住んでいる地方のせいだとおもうんですが、東京大学が近くにあるわけでもないですし、東大をめざす受験生の人数自体も少ないので話題に上ることもなく、凄さが伝わってこないんです。

東大が身近で2次試験に国語がなかったら(笑)、私は受けていたかもしれませんが。・・せいぜい菊川怜ちゃん(東大工学部建築学科卒)かわいいね(笑)って感じです。まあ、田舎もんということです(笑)。

それに、前に話しましたが、「今の都会の子供たちはすでに生意気になっている・・失礼(笑)・・いや、もう気づいているところがあるんです。・・学歴社会はすでに崩壊していると・・」

なんだかんだいって「東大合格は大変かもしれないけど、社会に出てからも通用するプラチナチケットだと思えなくなっている」ということなんです。・・学問研究に携わるという意味では最高の大学だとは思っているかもしれません。(個人によっても、地域によってかなり受け取り方は違うと思いますよ。)

で、桜木先生ですが、先生しかやったことがないような教師とは違って「東大に合格することだけ(=結果だけ)に価値がある」とは(本心では)思っていなかったわけです。

生徒の中で、東大二次試験二日目に、意識の戻らない母親が心配で試験には行かなかった水野という生徒がいました。母親の意識が戻って、試験会場に走ったんですが、間に合いませんでした。
そして教室で桜木先生と次のような会話をすることになります。

生徒(水野)(半分泣きながら) 「人生180度変えるつもりだったけどできなかった。360度回って元に戻っちゃった・・・」

桜木「ばかなこと言うな。時間ってやつはな、元には戻らねぇ。いいことも悪いことも全てそいつの中に積もっていく。お前は一年間勉強した。東大に受かろうが受からなかろうがその事実は変わらねぇよ。お前は変わったんだ。


・・勉強は何のためにするのか?・・大人の方なら・・自分は何のために生きるのか?

・・・勉強することが、少しも無駄にならないから勉強し、生きることも、たとえどのような生き方であるとしても少しも無駄にならないから生きるというのが私の考えですが、桜木流にいうなら上のようになるでしょう。・・何のために勉強するのか?という質問は「人生には無駄なものがある」という考え方、「人生の早い段階で、何が無駄であるのかを自分が判断できるという思い込み」から出てくる問です。たいていは「本当は勉強が好きな人が、ちょっとした理由で嫌になっているだけ」です。だから、「勉強することが好きになるために勉強するんだよ」(笑)とでもいっておいてください。

それでも無駄に思えるとすれば「自分の目指すものがはっきりしていない」のだといえます。自分がはっきりしている人には「無駄」が入りこむ余地は少ないのです。・・松井選手が子供(小学生)のころ柔道で期待されながら、後で野球に転向したのは「柔道の練習が無駄だと思ったからではなく、柔道を通して、自分がやりたいのは柔道ではなく野球であることにはっきり気づいたから」です。


さて、考え方ということですが、今日も学習法話を。
いい参考書・問題集はありますが、「どのようにやるか」ということについては、あまり触れられません。

前回、「数学は見直しだ」ということで、自分がつまずいたプロセス、欠けていた知識を「文字にして見直せるようにしておく」ということを述べました。また、このことから数学のノートをみれば、成績が伸びるかどうか、かなりの確率でわかる ということも述べました。

今日は、物理や数学の実際の学習方法についてかいてみます。(私の場合です。)

いろんな要素を加味して、とった方法は「ワンクッション法」です。これには、自分に講義するという意味もあります。自分が勉強してきたことを無駄にしない、大切にするという考え方が根本にあります。

「1回で理解し覚えようとするのではなく、はじめから復習することを前提に、しかも模試のたびにすべてを見直す」という、以前ここで述べた「東大合格型学習法」です。

まずは、問題をチラシの裏(笑)などに、解いてみます。解けなければ解答を見ながら、答えまで導きます。もちろん、自分がつまずいたところ、欠けていた知識も付け加えます。これがワンクッションです。

後日、自分に講義するつもりで、・・参考書でも作るかのように「丁寧に」ルーズリーフにまとめていきます。試験前には、自分がまとめたものをすべて見直します。3年間分のものがあるとしたら「3年分」すべて一気に見直します。

ワンクッションおくとは、「どんどん問題を解いていく数学」と「一度チラシの裏などに解いたものを、丁寧にノートしていく数学」を計画上でも「完全に時間を分けて取り組む」ということです。理解することが主体の学習と記憶することが主体の学習を「2ステップ」で時間を分けるというやりかたは聞いたことがないかもしれません。私も聞いたことがありません(笑)。(なお、解いた問題のすべてをまとめるわけではありません)

基本は物理も同じですが、特に物理は「基礎知識のまとめ」も同じようにします。物理は、一回目は解くと言うより問題自体をまとめます。ただ類題が多いので、その場合は解くことはしても「付け加えたい知識」がなければ、そのまま「やり捨て」ということになります。


予備校や学校の授業についても同じようにやっていきます。

★暗記・・ドラゴン桜をみていて「学習テクニック」でものすごく気になったことがありました。10月14日の特別編で訂正されるでしょうか?というのは、物理の公式みたいなものを「反射的に」出てくるようにしていたところです。

物理は暗記科目といっても、「公式だけを試験10分前に見る」(笑)みたいなことは、まったくしなくなったんです。数学でもそうでしょうが、公式そのものより、公式をどのように導くかを覚え、使うときは常に導くようにしてました。

元になる公式もできるだけ「感覚的な理解」を加えていました。
ドラゴン桜の物理勉強法が気になります(笑)。
  1. 2005/09/18(日) 06:59:44|
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ドラゴン桜 放映終了  

ドラマ「ドラゴン桜」最終回が昨日ありました。・・放映時間の関係もあると思いますが、東大模試を受けてから(つまり2学期~直前期)本番までは、ほとんど省略されていて、学習法という視点しかもっていない視聴者(=おもに現役の学生)にとっては、後半は、かなりの物足りなさを感じたのではないかと思います。

(原作本はわかりませんが)、一部の人たちに、物足りなさを「視聴者に感じさせたとするなら」、ドラマとしては成功だったのではないかと思えます。最終回は、みのもんた も出てましたが(笑)、たとえば、男生徒(東大は残念ながら不合格)に、「受験勉強を通して、嫌っていた父親を見直した。」というセリフを言わせました。そして、あれだけ頑固に(?)息子をダメ扱い、バカ扱いしていた父親に、「おまえはよくがんばったよ」という言葉を最後に言わせました。明らかに「受験テクニック」ではないものもドラマで伝えたかったと思えます。

・・私の考え方では「自分の考え方を変えることで回りが変わったように見え、実際に自分の体験が変わる」ということが受験というテーマで描かれている素晴らしいドラマだと思っています。

⇒DVDボックス「ドラゴン桜」

さて、考え方ということですが、「暗記」というテーマについて再度とりあげてみます。以前、ここでは、「大脳生理学的な事実」も紹介しました。今日は、TVなどでも見ることがある灘高校出身、現役で東大理Ⅲ合格したというかたの著書を取り上げて再度考えてみます。

⇒「数学は暗記だ―受かる青チャートの使い方」

感想から抜粋します。
(抜粋)私はこの本を受験時に読んで、そして数学で失敗しました。ところが、成功する人もいる。これはどういうことでしょうか。考えられる次の二つについて説明します。

1、才能が違う
2、暗記の仕方が違う

才能の違いについては、言うまでもないかもしれません。多くの失敗した方々が、「所詮暗記数学など、灘に入れるような和田氏ぐらいの才能の人にしかできないことであって、それを一般人に対して敷衍すること自体間違っている」と言います。私もどちらかと言えばその考えの支持者です。この本には数学で失敗した多くの人たちの怨念が篭っているのです。

しかし、ここであえて「暗記の仕方の違い」について説明してみましょう。たまに本当に、「僕は才能はなかったがこの本の勉強方のおかげで数学ができるようになった」と言う人がいます。その人達は和田氏のように灘高校などに通っていないため、より説得力があります。

その人達はおそらく「暗記の仕方」が良かったのでしょう。どうやら高校数学は、かなり難しい範囲においても、暗記の仕方さえうまくやれば、暗記でそれなりにいけるようなのです。

ただしこの本では単に、「暗記すればよい」と言うことだけが強調されていて、その具体的な「伸びる暗記の仕方」が殆ど説明されていないように思います。それで多くの人が間違った暗記の仕方をしてしまい、失敗するのです。この本が毒にも薬にもなるという所以です。

さらに言うと、和田氏は考えて解こうとするから数学は挫折する、と主張していますが、暗記でやろうとしても挫折する可能性は十分にあります。英単語などを棒暗記してきた経験のある人なら分かると思いますが、暗記は考えて解く以上の精神的な辛さが伴うからです。ですから、いずれにしてもこの本に書かれている内容を丸呑みにしないことが大切だと思います。この本は、あくまで自分に合った勉強の仕方を見つけるための参考程度にとどめておくのがいいでしょう。 (抜粋終わり)

まず、一点目、たとえば 2x+4=54 を解けという問題があったとします。すぐさま「あることをして」答えを出そうとします。では、この問題ができない生徒がいたら、どのような説明をするでしょうか?

・・その説明(つまり解けない生徒がつまずいている部分)こそ文字として書いておき、できるようになれるように反復するということです。・・計算問題は「つまずきの部分」を別の問題で(結果的に)大量に反復することになるので、書くことの必要性を感じていない生徒や教師が多すぎるといえます。・・結果、高校では「中学での勉強法は通用しない」と言う教師がでてくることになります。・・ある面からみると高校ではただ単に「一つ一つの項目に対して反復の回数が少なくなるだけ」ということができます。

暗記=丸暗記  ←こういうイメージを持つ人が多いといえます。出版社は、そういう一般的なイメージを使って、注目されるようない言い回し(ここでは本のタイトル)をします。(勘違いや早とちりで)否定的な反応する人がいても、それは注目されるということで、出版社にとってはオイシイ話だからです。

この本の著者はどう思っているかわかりませんが、

暗記=プロセスを理解し、自分がつまずいたプロセスを意識し(←書くことを薦めます)、また必要となる知識をまとめておき、試験前に見直す ということになります。

問題を解いてみようとすること・・一行も書けないとすれば、「とにかく最初のステップを学ぶ」必要があります。

log2÷log7 の小数第1位の数を求めよ。

最初のステップは「たとえば、小数第1位はどういう形であればすぐわかるのか?」という知識かもしれません。

たとえば、0.31<求めるもの(=x)<0.36という不等式なら「小数点第1位は3だとわかります。」 0.3<求めるもの(=x)<0.4 でもそうです。

その不等式をどこからもってくるのか? 求めるもの=X とおいて、変形した式(=方程式)をみて、不等式を作るという知識かもしれません。ステップとして、不等式を作る前に、式変形(指数方程式・対数方程式)につまずきが見つかるかもしれません。

(・・答えだけは書いておきます。答え=3)

一般的には、少数派の「理解したら問題が解ける人」と、多数派の「理解はしても忘れて問題が解けない人」がいます。

少なくとも私は、理解はしても問題が解けない人でした。

自分のタイプを見極めて学習を進める必要がありますが、問題集を解いていきながら「間違った問題、わからなかった問題に印をつけておいて、それだけをやり直すという学習法」は少数派の学習法であり、せいぜい「高校受験まで」の学習法というのが私の考えです。

ということで、数学は暗記だ!というのは賛成なんですが、勘違いもおおいので、私は、「数学は暗記だ」という言葉自体はつかいません。

生徒には「数学は見直しだ!」といっていました。(というか、数学も含めた上で、受験は見直しだ!ということです。)

自分がつまずいたところ,必要な知識を試験前に見直すということです。・・そのために必要なことは、最低限「見直したときにわかるようにしておくこと」です。(基本は文字にして・・赤ボールペンなどで、書いておくことです。)

そういう意味では生徒の「数学のノート」を見るだけで、「伸びるか伸びないか」はカナリの確率で判断がつくということになります。

(ここで使っている数学という言葉は、試験時間内に問題を解くための数学です。ただ、数学といっても、大学の数学科で勉強してる人にいわせれば、入試の数学は数学ではないといいます。)

(補足)ここで書いていることが当たり前でない理由として、学校のシステムがあります。つまり現在あるシステムはいわゆる「無意識のシステム」なのです。たとえば、中高一貫の有名進学校の学習システムです。無意識のシステムが与えてくれるものを受け取るには、そのシステムの中に入るか(つまり受験して合格すること)、自分のほうから意識的になるしかありません。

どういうシステムでしょうか?

まず、入試というハードルを作ることにより、学習体力がある生徒、学習体力をつけた生徒をまず集めます。次にカリキュラムの効率化です。

そして、やっていることは「復習や見直しということを特に意識しなくても、大量の問題をこなさせることで、結果として合格するだけの実力を身につけてもらうという壮大な作戦」です。

無意識のシステムの本質がわからないと、表面的に真似するだけ(たとえば大量の問題を宿題にする)では同様の効果は期待できません。因みに、私のところにある「ある進学校」は、やたら宿題が多いという噂があって(一部の中学生に)毛嫌いされていました(笑)。

いっぽう「受験偏差値」でいうとトップの高校(中高一貫ではない)は、極めてのんびりしたもんです。(←これはこれで問題かもしれませんが、生徒の自主性に任せるということらしいです。)・・もちろん、「その宿題の多い学校は大学入試の結果が以前のまま変わりない状態です。」


さて、海外には飛び級というのがあります。日本ではなぜか?ほとんどないようですが、たとえば、中高一貫の学校の生徒だけは別枠で、高校2年時に受験できるようなシステムを作ってはどうでしょうか?

  1. 2005/09/17(土) 16:19:03|
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